残酷な人間が支配する
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 日本のみならず、世界が黒い雲に覆われていると感じているのは、なにも私だけではなく、ラブレーや
エラスムスの昔、いやそれよりももっと前の古代の人たちさえ、そうでした。古代ギリシアの哲人たちは、
人間と世界の無法に深く傷ついていたゆえに、あるべき国家と民主主義について彫り深く考えぬいていた
はずです。迷信や占いや呪いに支配された世の中を、そこから脱却させようとして「理性」を発見したように。
 杜甫など中国の詩人たちさえ、政治のなかで翻弄されざるを得ませんでした。宗教と政治が不可分な
時代のヨーロッパ諸国のなかでは、カトリックと英国国教会のはざまで苦しんだウィリアム・バードの
胸中をおもいます。また、フランス革命前夜の異端の小説家、マルキ・ド・サドには「権力」というもの
を考察する透徹した哲学的知性を感じています。

 私はこどものころ、理不尽に暴力をふるう教師に出会ったおかげで、「権力」の性質を知ることができ
ました。権力は暴力とともにある。その味を知った人は無間奈落。人間性が落ちるところまで落ちていき
ます。反面教師が行き過ぎたのか、私は高校時代にはすっかり「アナーキスト」になっていました。以来、
脱権力が私のテーマとなり、権力からはできるだけ遠くに身をおく習慣ができました。

「歴史はサバイバルゲームの記録でしょうか。サバイバルとは生き残りのゲームであり、生き残るため
には目の前の他人を滅ぼし、滅ぼしきれなかったものの自由を奪って鎖につながなければならない。東で
西で南で北でそうした征伐をくりかえし、われわれの歴史の最後には、ほんとうにひとりの強い勝利者が
残ることになるのでしょうか」。
「そのようにして、残った最後のひとりは心から嬉しいでしょうか。対等にことばを交わす隣人がひとりも
いない人、もしくは国家。『地の王』からかぎりなくへだたった場所に、私はいたいと思います。そうで
なければ誰ともことばを交わせないからです」。

 以上は、1992年に出した私の本『宗教的人間』からの引用です。
 書いてから10年あまり。湾岸戦争のアメリカに『地の王』、「世界の警察国家」の匂いを嗅いでいましたが、2 003年「イラク戦争」のアメリカは、まさにサバイバルゲームに勝ち残る「最後のひとり」をめざしています。公 言さえしています。
 いまアメリカを牛耳るネオ・コン(新保守主義者)たちは、アメリカを複数の戦争を行ない得る大軍事国家
にし、「アメリカ帝国」を頂点とする世界再構成をなしとげて、21世紀を「アメリカの世紀」にすると吠えて
います。
 『宗教的人間』は、宗教と権力の結びつきを破壊したいから書いた本でしたが、いまやアメリカには「神」
さえなくなりました。純粋な暴力への心酔と誇示だけがある。

 この種の自己陶酔に狂う人間を、人間の世界では「変態」と呼んでいます。その呼び方は好きではありま
せんが、力こぶを見せつけ、従え、と鞭をふるい世界を威嚇するさまは、どう見てもマルキ・ド・サドの
世界ではありませんか?
 彼らの戦争は、だから「快楽殺人」でしかあり得ません。日本の少年犯罪にそれが現れ、日本じゅうが揺れ
ましたが、どうしてアメリカの「サディズム」には不感症で、のみならず、家来として付き従おうとするので
しょうか。
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