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<< 1995.4.12        ■会報号外 1995.7.13          Vol.14 >>

 

 

 

 

 

 

 

 

サロン再開のお知らせ

 

 

 

ラポルテ本館は、補修工事も着々と進み、2階から4階までのフロアについては71日から内装工事に入れることが、正式に決まりました。サロンも玄関脇の2枚のポスターボード脱落、内部の天井と壁の剥落、検査のために剥がした内装の復旧、壊れた音響機器の新設など、いよいよ修理にかかります。

713日に前にお知らせさせて頂いた「梁盛苑チェロリサイタル」(ピアノ/アルバート・ロト、18:30開演、¥2,000)で再開の幕をあけます。この時点では、本館東側のシースルーエレベーターからお越し下さいませ。以後、16日あたりから2階正面入り口から入ることができるようになる見込みです。

 

サロンの料理担当の「アイル・モレ 花外楼」は震災を機に芦屋店を閉店いたしました。しかしながら、ご宴席のお客様も多く、サロンでの「パーティー」に関しましては「出前」をもちまして従来通りのサービスをさせて頂きます。いつでもお召し上がりになれる芦屋店がなくなったのは寂しいことですが。

なお、喫茶の方は私どもの直営ですから、常連の方と再開できるのが本当に楽しみです。地震の話をしましょうね。

 

サロン使用、コンサートなどに関するお問い合わせは、もう始めています。ピアノ発表会や若い人が開く音楽会など、被災地では会場がないのでお困りの先生も少なくないのでは。みんな大変です。お店がなかなか復旧しない方も、展示会場として、ぜひお問い合わせ下さい。

青島幸男東京都知事の、若いときに作った歌詞にこんなのがあります。

 

ぜにのないやつぁ 俺んとこへこい/俺もないけど 心配するな

みろよ青い空 白い雲/そのうちなんとか なるだろう(笑声)♪

 

 

<再開シリーズ/予告>

 

713日(木)  梁盛苑 チェロリサイタル  ピアノ/アルバート・ロト

18:30開演 ¥2,000 芦屋・山村サロン

721日(金)  姜恵淑舞踊団 “従軍慰安婦創作舞踊公演“

18:30開演 ¥2,500 尼崎ピッコロシアター  <主催/『中心21』>

85日(土)   村松健 "山村サロン復興支援コンサート

15:00開演 ¥1,500 芦屋・山村サロン  <主催/フルシェット>

 

ほか、9月に竹屋茂子さん、10月には秦はるひさんのピアノリサイタル。中嶋常乃さんのチャリティコンサートも10月に予定しています。では、713日以降に、サロンでお目にかかりましょう!(それまでは仮事務所・松山庵 0797-38-1222か、拙宅 0797-22-3960にご連絡下さいませ)

 

 

 

瓦礫の国に生きること ――日録抄   山村雅治

 

震災の朝から早くも4ヵ月。いまだに震災後はじめて会う人もいて、生々しい「当日のこと」を語りあう。これまでの人生の時間のなかで、誰もがもっとも詳細に克明に、あの日のことを覚えている。それからの日々についてはとくに語ることなし。互いのつらさはお互いさまであり、おそろしく個別のものであっても、おそろしく同じ重さを持つものだから。元町で8年ぶりに高校の同級生に出会った。中山手の実家が半壊。灘区と東灘区の職場は全壊。長い間年賀状のやりとりすら途絶えていたが、被災を生き抜くものどうしの親しさが通いあった。なにしろ私たちの通っていた高校は灘区にあり、校区はおおむね震度7のベルトに呑まれていた。

避難者の数が3万人を切ったという。一時は20万人にものぼった数が4ヵ月を経てそれだけに減った、という報道には、公にできる数の事実と、その裏に隠された真実が潜む。知らない人は、復興も順調と思う。それが嘘だ。行き先をみつけた人も「わが家」に住むのではない。家が残った人も傷んだ軋みや傾きを、だましだまし住んでいるだけだ。もし3万人が1000人にまで減ったとしても、行政も報道もその1000人のために心を砕いてほしい。最後のひとりになっても、だ。数ではなく。   

May 17, 1995

 

 

3月なかばからこのかた、テレビの報道はオウム真理教一色にまみれていた。震災を通じて暴露された「官災」の本質を、ことごとくオウムは体現していた。オウムは日本国家そのものの不意に現れた合わせ鏡。この国の官の体質と人相は、オウム幹部のそれに似る。日本国家そのものが反市民的な官僚統治を続けようとするとき、被災地では多くの市民のいのちが棄てられた。だからオウムは国家にとって異物ではなく、むしろ自らの姿を捨て身で突きつけてくるものだった。毒物サリンがこれ以上まかれないことを祈る。同様にサリンよりも悪質な「官災」を、一日も早く浄化してほしい。日本の心ある文官にはそれができるはずである。

 

新しい時代を切り開いていくために、サロンの思想が必要だと考えてきた。あらゆる人間が同じ地平に対等に立ち、名を呼びかわしあうこと。偽りの縦の秩序をこわしてみなければ、人間は人間として人間とつきあえない。人間を人間として見ることがない利益効率最優先社会では、その秩序を維持するために生まれた瞬間からマインドコントロールが始められている。一応のプログラム化された教育の内容は、一応のプログラム化された人生に決して矛盾することがない。サロンは、それらとは関わりがないところに開かれている。

一色が駄目なら別の一色。日本人はどうして一色が好きなのか。父祖からの血のなせる業に帰するのはあまりに無責任であり、そうではなくて私たちが育てられてきた学校教育のシステムを見直すべきと思う。一色に染まっていないと平穏に生きていくことができないことを、こどもたちは生活を通じて体に叩き込まれてしまうのだ。

一色でなくてもいい。人の数だけ色があるはずであり、それぞれの色をそれぞれに輝かせていればいい。

 

その通りじゃありませんか、と、この国の「宗教」を生きる人に向けて呼びかけた。『宗教的人間』と題をつけた本で。宗教は難しい。一色に染め上げることをめざすものならば、私は宗教の外にあるほかない。本当は日本人全体があいまいな「官秩序」への目には見えにくい構造に組み込まれているから、だれもがあらかじめ惑乱させられているのだ。高度管理社会の産物は社会の構造を映しだす。日本は重く病んでいる。

一人の人間を殺す犯罪者はかなしい顔をしている。けれども、無差別に大量の人間を殺す人たちは、どうしていつもきれいな顔をして、つぶらな瞳をしているのか。         

May 19, 1995

 

 

「東大に入りたい」「お金がほしい」。それが麻原彰晃こと松本智津夫少年の痛切な夢だった。日本人的、あまりに日本人的な小さな夢。

東大に入れなかった彼は、そのかわり東大理Vの秀才君を娘の養育係に付け、そのほか「受験サティアン」で純粋培養された頭脳の多くを、オウムのサティアンでさらに純粋培養し、顎で使い、サリンを作ってばらまいた。受験勉強をすればするほど馬鹿になる、ということか。国家官僚と似たような学歴をオウムの幹部も持っているのは、まことに象徴的である。人間性をねじまげてまでの受験勉強は人を堕落させるだけだ。

そして彼らの権力を得るためには何をしてもいい、という姿勢は、日本の政官財に共通する、お金のためには何をしてもかまわない、という姿勢に重なって見える。「オウム王国」建設をめざした彼らもまた、お金と暴力と恐怖をもって成り上がろうとした。こわくなるほど彼は現代日本そのものを体現している。「極刑に処せ」などの大声はもっともだが、大切なのは「われわれの中のヒトラー」との真摯な直面ではないのか。事件がすべて一過性の暇つぶしになってしまうのは、じつはマスコミのせいだけではない。飽きっぽく忘れっぽい観客の側に内面化か足りないからだ。

 

『神戸新聞』文化部からお便り。被災地美術館が収蔵品を持ち寄っての「日本近代絵画の名作」展が開かれるとのこと。各美術館の被災もひどい。先日紙面に載った座談会では、芸術とは何か、を問う関係者の熱い思いが語られていた。                       

May 22, 1995

 

 

桃谷へ行った。小田実さん代表の「市民救援基金」の集まり。震災直後に小田実さんが、テレビや雑誌を通じて「市民が市民をたすける」基金を設立されたもの。国内のみならず国際的なひろがりを持ち、二千数百万円か寄せられた。行政の手の届きにくい所へ寄付させていただく。お手伝いにこの日集まったメンバーはふつうの市民であり、手弁当で被災地のあちこちの施設を回ってきた。障害児の施設、在日外国人学校、外国人避難民キャンプなど。カトリック鷹取教会は、キリスト像だけが焼け残った教会だが、神父さんはやさしくて強い人。

 

この基金に後日、池田混声合唱団からも御厚志が寄せられること、指揮者の里井宏次さんからお聞きした。昨夜、池田アゼリアホールで「メサイア」演奏会が開かれた。

響きの清純なこと、アマチュアの域をこえている。アマチュア合唱団は、えてして「のど自慢」になりがちだ。ひとりとして、うるさい声がなく、ハーモニーを聞きあっていた。ノン・ヴィブラート気味の合唱の響きが、バロック音楽ではとりわけ美しい。解釈は、その響きへの愛から自然に導きだされたもの。清潔なリズム。心地よいテンポの移り変わり。過剰な表現は遠ざけられ、指揮者の意志は、たとえば内声の生かし方、子音の発声など細部に見えかくれするだけだ。かくしてオペラティックな派手さに背を向けた、きりりとした造型による純音楽的な「メサイア」が生まれた。

だから楽曲の頂点が表現の頂点になる。「アーメン・コーラス」の出だしの遅いテンポと抑えられた音量。テンポは微動だにしないまま、歌声は果てしもなく広がりと厚みを増し、仰ぎ見るような構築が創造された。アンサンブル・テレジアも合唱と同様の好演。低声と内声がこれだけ充実していないとバロックにはならない。「ハレルヤ」と「アーメン」のトランペットのセンスのよさと巧さが光っていた。   

May 28, 1995

 

 

ハーバーランドに行ってきた。神戸阪急で「日本近代絵画の名作」展。被災地美術館の収蔵品がひとつの場所に集まった。村上華岳、小出楢重、上山二郎、仲田好江、吉原治良、伊藤継郎など、わが街芦屋ゆかりの作家の名前に安らいだ。けっこういろいろな人が芦屋に住んでいたものだ。

親しくさせて頂いていたのは、ご近所たった伊藤継郎先生。昨年、ほとんど震災直前といっていい頃に亡くなられた。旛酒なアトリエも、お宅も全壊。展示されていた「アトリエの女」をはじめ、絵だけが美術館や個人の家、そして人の心に残っている。伊藤先生と吉原治良の絵はすべて好きだ。「円」の造型へ到るまでの暗い格闘の時代の作品を含めて、吉原治良ほど作風に巨大な歩みを示した人は、日本には他にいないのではないだろうか。

小磯良平の清雅な画風は、やはり美しいと思った。時代の豊かな市民生活が、あの画風を花咲かせた土壌だった。震災により市民生活が破壊されたあとも、小磯良平の絵は毫も色あせていない。私たちの暮らしはあそこへ戻れれば、というひとつの希望の水準を示すべく、小磯良平は他のなによりも穏やかな入間の生活を描く大家だった。日本の婦人を描いた作品では、この人のものがいちばん美しい。

ほか、梅原よりも林武がさすがと思った。フランスを模倣する次元をこえている。モディリアニもピカソも完全に消化され、その上にぎりぎりのデフォルメを施された裸婦像は、抽象的なまでに突きぬけていた。

May 30, 1995

 

 

ハンシン、サリン、サハリン。ユジノサハリンスクで阪神大震災なみの大きな地震。救援を断ったエリツィンのことばがふるっていた。「わが国防独力で救援活動ができる。もし救援を受けいれれば北方領土のことを持ち出される。日本人とはそういう奴らだ」………

わが国の首相は遺憾の意を表し、ロシアからは陳謝が返ってきた。すなわちこれは、露国エリツィン大統領の正直な「失言」だったのだが、おなじようなことをさる外国に赴任した日本の外交官が臆面もなくいっていたことを紹介しておきたい。阪神大震災のニュースは国内よりも外電で世界にながされた方が早かった。ヨーロッパの一国に住むひとりの音楽家がただちに義援コンサートを開き、収益を日本領事館に寄付したい、と申し出た。ところが若い日本人外交官がこういった。「わが国は金持ち国であるから、他のいかなる国からの援助も、お断り申し上げたい」………

若いエリート君のひとりの考え方とは思えない。官僚が世界中にこの「意志」を全世界の日本領事館に打電したのだろう。かくて、被災地の私たちは、全世界の市民たちの

「救援への意志」から隔離され、見殺しにされた。思えば念入りな「棄民」政策であったこと!   

June 5, 1995

 

 

 戦後50年決議が決まらない。のみならず日韓併合について渡辺美智夫氏の放言。日本には一人のヴァイツェッカーもいないのか。あいまいな日本。 50年を経ても、なお真のポリシーを示す政治家が出てこない。なにを阿呆な夢ばかり見ているのか。戦前も戦中も、戦後さえも誤りだった。戦後50年間のみならず、日本の「近代」の膿の噴出が、阪神大震災とサリン事件であったと思う。これで出し切ったとは誰も考えていないだろう。はじまりはじまりの拍子木のようなものではないのか。平穏な世の中の訪れを誰しも祈るけれども、これまでの平穏が、手変え品変えた欺隔とごまかしに乗っていたものにすぎないから、いろいろな嘘が嘘としてあばかれていく。嘘は人がついてきた。歴史の生理は止めることはできない。自然だって破壊されれば怒ったのだ。

 「侵略戦争語らず詫びず恥じるなく戦後を了えて日本は強し」李正子   

June 6, 1995

       

 

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19957 13日 発行

著 者 山村 雅治

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