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21世紀のバトルロワイアル

 

 

1

 

時の流れはいやおうなしに20世紀を過去へ押し流し、新しい世紀が幕を明けました。この百年間の、人類の精神・物質の両面が合体した「文明」の産物で、最近もっとも身近に感じているのは「音盤」すなわち「レコード」の百年間です。20世紀初頭に発明されたSPレコードを蓄音器で、戦後まもなく開発されたLPレコードをアナログ・プレーヤーで、そして最近のCDCDプレーヤーでそれぞれの「音」を楽しめることになって、いま、おおげさにいえば、若い順に死ななくてよかったとさえ感じています。

そもそもSPレコードとの出会いが「震災直後」です。それらのSPレコードは寄贈先を捜して、あらゆる放送局や図書館から断られ続けたもの。いわば「死に損ない」…という言葉が適当でなければ…「辛うじて生き延びたもの」どうしが、瀕死の状態で出会ったようなものでした。

 

そのころ私は、本来のサロン活動どころではなく、小田実さんらとともに、震災被災者に国からの公的援助を求める市民運動に多くの時間をさいていました。被災地では、市民が棄てられていました。ドイツの学者が、かつてのナチの「生物的解決」だ、と漏らしました。棄民の人権問題のすべては、彼らが死ねばすべて解決する、というわけです。国家は「市民の生命は平等に価値がない」とする立場を鮮明に取りつづけました。「これは人間の国か」という小田実さんの一文も、そのころのものです。

どんなに小さないのちでも、そこに「いる」かぎりは、生きて、幸福を追求する権利があります。市民の生命は平等に価値がある。

 

手持ちのレコード・プレーヤーで、前田和子さんから受け取った母上の形見のSPをかけてみると、電気を通して再生するために雑音が耳につきます。しかし、その奥から流れ出してくる「音楽」の、なんと美しいこと。米ビクター「片面の赤盤」のパデレフスキー、パッハマン、ラフマニノフら、20世紀初頭に活躍した「伝説のピアニスト」の旧吹き込みに、私は、逞しいいのちを感じました。これを「ゴミ」としか評価できない人たちには、怒りを通り越して哀れにさえ思いました。同時に、戦災で焼け残り、震災で割れ残ったSPを、なんとか「いのちあるもの」として扱ってほしいという前田さんの思いがわかり、胸が熱くなりました。

そのSPに、亡き母上・佐野貞さんが生きていて、その人を「母さん」と呼んだころのきょうだいたちとの「あのころの生活」が生きている!

 

そして、サロンはやがて大型蓄音器「クレデンザ」を入れ、電気を通して聴くよりもはるかに雑音が少ない、いい音で「SPレコードを楽しむ会」を開くことになりました。一面ごとにぜんまいを巻き、重いサウンドボックスに取り付けた鉄針を盤面に下ろすたびに、ふと私は思いを馳せます。

今は地上にいない演奏家や、かつてその盤を愛聴した人たちの「息」がきこえる、その「息」は22世紀、いや、もっと遠くの未来までもつながれていけ、と。

 

 

2

 

震災で、私たちは親族や知人、その係累の人たちを含む6500人あまりのいのちを失いました。半壊の家を後にして、水を求め食料を求めて、直後の瓦礫の街を歩くとき、私は声にならない叫びを聴いた気がしました。もうもうとまだ立ちのぼる粉塵のなか、国道二号線沿いは行けども行けども「二階が一階になり、一階は床になった」全壊家屋が道を塞いでいました。壁が外れて居室が剥き出しになった家には人影はもはやなく、屋根と床の間に薄く赤い蒲団が見えました。

いくつもの家がつぶれ、何人もの人が埋まり、死者も生者も、その時刻午前五時四六分で時間が止まりました。職場も壊滅、修理が終わるまで半年は無職状態に突き落とされたおかげで、人生の「予定」あるいは「継続」が、つりとこときれたのです。

 

「本格的な再開はいつになるかわからない」、1995331日付の神戸新聞への寄稿文で私は書いています。「官のお仕着せをありがたがる心情は絶えた。文化についても同じことだ。文化はどこまでも私たちひとりひとりのことばから始まっていく。あたらしい時代をきりひらく巨大な混沌のエネルギーは、無数の『ひとりの市民』が生みだしていく。路地裏に埋もれる声を救いだしていくことこそが、今後の創造の基礎になるはずである」。

その考えは、いまも変わりません。切り捨てられたもの、踏みにじられたもの。ゴミとしか認知されないものを、私は愛惜します。

 

 

3

 

こどものころ、来たるべき21世紀には輝かしい未来があり、人間は二度と戦争をしなくなり、この地上には「恒久平和」が訪れているという夢を信じていたものでした。

その夢は、はかないものでした。「いのちは平等に価値がある」にもかかわらず、世を支配しているのは「いのちは平等に価値がない」と定めたかのような、弱肉強食の論理です。あのころから見れば、もう、いまが「未来」。事態は1970年に高校三年生だった17歳のそのころと、本質的には何も変わっていません。

 

17歳。私にとっても変な季節でした。無意味な学校生活。大人たちとの価値観の違い。そして、なによりも物質中心の社会。そこにはいかなる尊敬すべき思想も倫理もなく、いたずらに「生産」と「消費」をくりかえし、自然と人間性を破壊していく恐ろしさ。ベトナム戦争に加担する「死の商人」が、日本にも暗躍していました。

そのころの私がバタフライ・ナイフを持っていたとしたら、どうしていたか。「人間は野菜だ。殺してもいい」とするのは、むしろアメリカの戦争を積極的に手伝う「国家」の側の論理であり、当時の17歳の少年は、ただジャック・ナイフの刃先をみつめて「これが国家だ」とつぶやくのみでした。その予感は、はからずも震災後の被災者を切り捨てた「国家」にぶつかることで、あざやかに的中していたことを知りました。

 

 

4

 

「こいつは、成功したファシズムってやつなのさ。こんなタチの悪いものが世界中のどこにある?」「その通り、この国は狂っている。このクソゲームだけじゃない政府に少しでも反抗するようなそぶりを見せたが最後、そいつは消されてしまう」「だからみんなが、政府の影におびえ、政府の方針には絶対服従で、ただ、日々のささやかな幸福だけを糧にして生きている。そしてその幸福が不当に奪われたとしても、ただ、卑屈に耐えるだけだ」「それはやはりおかしいのではないか、と思い始めていた。いや、みんながそう思っているだろう、だが、誰もそれを正面切って言い出したりはしない」。

小説『バトルロワイアル』(高見広春著/太田出版刊)で、三村信史の胸の中を描く場面です。彼は東洋の全体主義国家「大東亜共和国」の中学三年生。クソゲームとは、その国で毎年任意の中学三年の50のクラスを選び、国防上必要な戦闘シュミレーションと称する殺人ゲーム「プログラム」のことだ。生徒たちは与えられた武器で殺しあい、最後に残った一人だけが家に帰ることができる。

香川県城岩中学校3B組の七原秋也ら42人は、修学旅行のバスごと政府に拉致され小さな島に連行された。抵抗した担任はすでに殺されていて、政府の役人・坂持金発と名乗る男が「プログラム」の開始を告げる。

 

残り25人になった時点で、チームを組んだ川田章吾の憤りの声を聞き、七原秋也は「ああ、同じだ」と思った。「このろくでもない椅子取りゲーム、互いを疑わせ、憎しみ合わせるクソゲームを平気で動かしている連中を、地獄の底まで叩き落としてやりたいと、そう思ったのと」。

しかし、川田はすぐに突き放す。「ほんとはみんなが反対してても、誰も何も言えない。だから何も変わらない」「何も言い出せないはずだ、何かがおかしいと感じても。おまえたちだって、自分の生活の方が大切だろ?」

 

そして政府の役人・坂持金発は、生き残った川田に傲然といい放つ。「プログラムは、この国に必要なんだよ」。その優勝者の映像がニュースで流されることについて「あれ見たらさ、確かにかわいそうだって思うかも知れないよ、そいつはそんなゲームほんとういやだったのかも知れないって。しかし、そいつは結局、ほかのやつと闘うしかなかったじゃないか。つまり、最後は誰も信じられやしない、みんなそう思うだろ?そしたら、力を合わせてクーデターを起こそうなんて誰も考えなくなるだろー?」。

 

『バトルロワイアル』は、まじめな小説です。若者たちの疑心暗鬼、怯え、力の誇示、ずるさ、賢さ、初恋の純情、立ち上がる勇気、挫折のすべてが異常な状況に置かれた42人の生徒たちを通して描ききられています。人を殺す暴力の描写を通じて、大きくあぶり出されてくるのは「国家の暴力」。市民の前に立ちはだかり「弱いものは死ね」と突きつけてくる国家のバタフライ・ナイフ。この原作を映画化した深作欣二監督は70歳。自分の原点は15歳の敗戦時の経験にあると述懐されています。艦砲射撃で3040人が一度に潰された……

 

 

5

 

20世紀は略奪と虐殺の世紀でした。経済的動機と民族主義が引き金を引いてきた。強い国、強い資本家だけが地上の「バトルロワイアル」を着々と勝ち進み、その結果、私たちの「精神」を表わすはずの芸術・文化は、あらゆる分野にわたって病み衰え、真に創造的なエネルギーを発散させている作家は、ますます希少になりました。

『バトルロワイアル』の川田章吾はいいます。この国の人間は「お上の言うことには逆らわない」「付和雷同。他者依存性と集団指向。保守性と事なかれ主義」「要するに、誇りもけりゃ倫理もないってことになるのか。自分のアタマで考えられないだよ。長いものにはくるくるくる。全く、ゲロの出る話だ」。

まったく、ゲロの出る話です。

 

毒舌で鳴らすイギリス人、ノーマン・レブレヒト Norman Lebrecht の When the Music Stops ( Simon & Schuster ) の翻訳本が出ました。『だれがクラシックをだめにしたか』(音楽の友社)。ひとくちにいえば、音楽産業が自ら招いた出口なしの「クラシック音楽」の現状を告発した本です。利に聡い音楽家のみならず、興行師やプロダクション、レコード産業などの陰謀と暗躍があますところなく描かれています。いささか毒がきつい。しかし、大ざっぱなところでは、論旨は真実です。

 

私は音楽会をプロデュースするという仕事もしていますが、自分で企画して開くコンサー卜は例外なく「よくてトントン。たいてい赤字」です。ほかのホールなら引き受けない「少数派的」な内容のものを好んでするからです。来る人は多くありません。でも、来た人も演奏家も、心から充足して会が閉じられます。

最近は、クラシックの大衆化と「低きにつく」低俗化をはきちがえた演奏家が激増しています。しかし、それはちがう。たとえばリヒャルト・シュトラウスを美しく歌える人が集客のために「歌謡曲」をプログラムに加えるとすれば、その人は本当にはお客のことを考えていない。お客はあなたの「歌」を聴きに来る。シュトラウスだけで大丈夫。「歌謡曲」は誰のための、なんのためのサービスなのか。

 

もの書きも読書家も頭が曇ってきている。絵描きも美術愛好家も目が濁ってきでいる。音楽家もリスナーも耳がどんどん悪くなっています。各分野の雑誌をみれば一目瞭然。思想誌など、いまはどこにもありません。テレビも新聞も、一部の気骨ある人たち以外は「集客」と権力か=らの「保身」に、堕落の歩を進めています。

食えなくなることが、怖いですか。

 

さて、21世紀のバトルロワイアル。

私はせっせと芸術・文化の分野で、棄てられたもの、あるいは「たったひとり」の人を蘇らせる仕事を続けます。 20世紀型のバトルロワイアルは、早晩終わりを告げます。その権力奪取ゲームの勝者が、自分の馬鹿さ加減に、いいかげんに気づくと思われるからです。

21世紀に残るものは誰か。ひとつ暗示的なエピソードを書いておきましょう。

小説『バトルロワイアル』で最終的に残った二人、七原秋也と中川典子は、ついに友人をひとりも殺さなかった!……

 

 

 

 

 

 

 

 

縁が深い奈良ゆみさんとザ・タロー・シンガーズのCDを紹介します。お店になければ、サロンにはあります。

 

 

 

 

 

 

阪神淡路大震災復興支援   2000.5.5

チャリティー・コンサート

 

オウブ + 渚にて

 

オウブ/中嶋昭文

渚にて/柴山伸二、竹田雅子

頭士奈生樹

 

企画/坂口卓也

 

 

毎年五月の連休に行なわれている「阪神淡路大震災復興支援チャリティー・コンサート」です。企画者・坂口卓也さんも出演者の皆さんも、大阪や京都からずっと「阪神」の被災地を見つめ続けている人たちです。坂口さんは科学者ですが、案内チラシに「テクノロジーの発展に支えられ世界が進み行くプロセスを省みると、様々なものが切り捨てられて来た事実に気づきます。阪神淡路大震災に始まった『復興』はそんな発展の業をしっかりと抱えているように思います」と書かれています。

一つの素材(水、金属、心拍など)に発する音を電気的に加工しながら、「人が想うさまざまな感情を演奏の中に息づかせる」オウブ。「はんなりと脳にからみつくメロディで何処からかフシギななつかしさを呼び起こし、希望と絶望の聞から熱い歌心を凪に乗せ送り来る」渚にて。そして「滅びというものの存在することを真っ向から受け容れながら、決して絶えることのない希望を歌に託す」頭士奈生樹さん。

2001年も54日に予定されています。ぜひお越しを。かつて「聞いたことのない」音楽と歌に驚かれることでしょう。

 

 

 

クレアリー和子 ピアノ・リサイタル   2000.5.13

オールショパン・プログラム

 

幻想即興曲 嬰ハ短調 作品66

ノクターン 変口短調 作品9-1

ワルツ 変ト長調 作品70-1

即興曲 嬰へ長調 作品36

マズルカ イ短調 作品68-2

練習曲 ハ短調 作品10-12

バラード 第2番 へ長調 作品38

スケルツオ 第2番 変口短調 作品31

 

主催/山村サロン

 

クレアリー和子さんのピアノ演奏の真価に気づいたのは、SPレコーレドを聴いているうちにパッハマンやパデレフスキーに心奪われたときでした。 20世紀初頭に活躍した大ピアニストたちのその音色、その奏法記憶する彼女のピアノ演奏に受け継がれていたのです。音が粒だって輝き、重力から解き放たれてころころと転げ回る。なによりもスタインウェイ特有の音色の美しさこそが、真にユニークです。それもそのはず、彼女の師はヨーゼフ・ホフマンの高弟ジーン・ベーレンドとブゾーニの最後の弟子エドワード・ワイスです。

ただし、音楽に定規で測ったような機械的な正確さを求める向きには、彼女のピアノとは無縁です。また、音を外したりするなどのミスを許せない人も彼女のコンサートには来ないほうがよろしい。しかし、音楽とは、音楽会とはなんでしょうか。

むかしパリにマルグリット・ロンという名ピアニストがいました。晩年の彼女はしばしば演奏中に曲を忘れ、次の局面に移れなくなって同じフレーズを何回も繰り返すのでした。聴衆は「マダム、マダム」と励ましの声をかけます。音がみつかって局面が開けてきたときには場内がひとつになって大喜び……。

音楽に、音楽会に、正確さ以外の「温かさ」を含むすべてのものを求めておられる方は、どうぞいらして下さい。次回は513日です。

 

 

 

蓼原道子 昭和の叙情をうたう   2000.5.17

 

ソプラノ/蓼原道子  

ピアノ/片桐えみ

 

リンゴの歌、水色のワルツ、あざみの歌

銀座カンカン娘、赤いサラファン、ともしび

テネシーワルツ、かあさんの歌、遠くへ行きたい

学生時代、忘れ草をあなたに、夜明けのうた

シクラメンのかほり、秋桜、いい日旅立ち、川の流れのように

 

 

蓼原道子さんは、もともと'87年に東京二期会から関西二期会に移籍されたオペラ歌手。「ヘンゼルとグレーテル」の魔女役を9回も務められた、というのは余人の追随を許さない立派な「持ち役」があるということ。はじめてサロンで歌われたときから、表情の豊かさがきわだつソプラノでした。舞台に彼女がいれば、なにか楽しいのです。最近はクラシックからカンツォーネ、ポピュラーにいたる幅広いレパートリーをもってさまざまなコンサートを企画制作されています。

今回のプログラムには、戦後の流行歌がずらりと並べられました。これらの歌は私たちがこどもの頃から、ラジオやテレビを通じて「環境として」耳にしていたものです。当日配布のプログラムにはそれぞれの歌の作曲年代が付されていて、年配の人はとくに、人生の「あの時・この歌」を思い出されたことでしょう。歌は世につれ、世は歌につれ。事実は小説より奇なりと申しまして、……あれれ、昔のNHKのアナウンサーの名調子が乗り移ってきました……。

 

 

 

狂言会   2000.6.11

 

細 雪:茂山千作、茂山正邦、茂山千五郎、茂山千三郎、茂山 茂

薩摩守:小刀禰明、小西勘兵衛、多和伸浩、茂山千作、網谷正美

業平餅:小西助兵衛、茂山千作、茂山正邦、小刀禰明、多和伸浩

茂山千三郎、茂山茂、網谷正美

千 鳥:茂山千五郎、茂山千作、茂山茂、小刀禰明

 

 

芦屋市在住の小西勘兵衛さんの肝入りで、そうそうたる顔ぶれによる狂言の会が挙行されました。亡母が長年(文字通り、死の床に至るまで)能楽の稽古をしていたおかげで、こどものころの私も数年間稽古をしていました。能・狂言の響きは、いまも私の体のなかにあります。亡母は晩年、死の時を数えながら、たびたびにわたって湊川神社の能舞台にシテとして立ちました。サロンの能舞台にも名だたる能・狂言の先生方を招き、夢のような時間を遊んだものでした。

茂山千作さんは、そのようなわけでサロンには二度目の来演です。私は茂山家の狂言がいちばん好きです。いちばんおもしろいと思います。春先には大阪フェスティバルホールの狂言会にも出向きましたが、やはり千作・千五郎の共演が見たかったからです。狂言の世界には、若いスターたちが目白押しで、前途は洋々たるものがあります。しかし、腹を抱えて笑ってしまうのは、やはり千作さんの至芸につきる。天性の剽軽さ。巨体の豪快な動きと、変わり身のすばやさ。美声とはいえませんが、どこまでも通っていく野太い発声。

とはいえ、狂言はひとりではできません。いろいろな役割があり「おかしみ」をめざす心のアンサンブルが劇をつくりあげていく。皆さん堪能されたことでしょう。小西助兵衛さんに感謝申し上げます。

 

 

 

20世紀音楽浴 Vol.11   2000.7.23

コンサート & デュオ・リサイタル フルート & ピアノ

 

ピエール-イヴ・アルトー & 久保洋子 デュオ・リサイタル

 

ウスコ・メリライネン:フルート、水の鏡(1984

アーノルト・シェーンベルク:6つの小さなピアノ曲 Op.191911

エドガー・ヴァレーズ:比重21.51936-1946

久保洋子:フルリスマン(2000. 世界初演)

エリック・タンギー:フラグマン(1993-2000

エルンスト-ヘルムート・フラマー

:アウスツァイトU-ハバネラ(1996. 日本初演)

近藤圭:大物の浦-ヴァージョンU-2000. 世界初演)

 

主催/20世紀音楽浴実行委員会

後援/フランス大使館、大阪音楽大学

 

 

20世紀に作られた音楽ばかりを集めてコンサートを続ける。企画してきた久保洋子さんもさることながら、ホール側として協力し続けた私にも、これはなかば執念のごときイベントです。モーツァルトもベートーヴェンも、それぞれの時代に生きた「現代音楽」の作曲家だった。私たちの生きるこの現代にも、すぐれた作曲家はいるはずだ。それが1986年、サロン発足当時から変わらぬ私の意見です。久保さんは西宮・芦屋とパリを拠点に活動している作曲家/ピアニスト。活動の幅を徐々に、確実に押し広げられてきています。

今回の久保さんの初演作「フルリスマン」は、フランス語で開花のこと。彼女はプログラムノートにこう書きます。「199710月にスタートした20世紀音楽浴も今回で11回目である。少しずつではあるが20世紀の音楽が受け入れられるのを実感している。この私の蒔いた種が徐々に膨らみ大きく開花出来たらという願いを持ちつつ、この作品を書いた」と。

近藤圭さんの新作は「大物の浦-ヴァージョンU-」。彼は書きます。「この作品は能楽『舟弁慶』が作曲の直接的契機になっている。作品は声明の旋律、特にそのリズムがピアノ中心に反復されるその上に、それとは対照的な、心の川の流れとしての恣意的な旋律がいつまでも続く」。

さて、20世紀音楽浴も2000年内のあと一回を残すのみです。 21世紀には、どんな「現代音楽」が生まれてくるでしょうか。

 

 

 

河野保人ツィター演奏会   2000.7.29

 

アルプスヘのあこがれ  

前奏曲とパッサカリア(真珠の木)

天使のひとり言  

オーストリア幻想曲  

その他

 

主催/黒田百合子

協力/ツィター奏者 河野保人後援会・大阪支部

 

 

毎年の夏恒例のツィター演奏会。古代ギリシアの竪琴に起源を持つツィターの音色に魅かれない人はいないでしょう。今回は珍しい「エンゲル・ツィター」での演奏もありました。小振りのツィターで、純度の高い透明感のある響きがこの世のものとは思えない。初めて聴くのにとてもなつかしい感じがするのは、どうしてなのでしょうか。

 

 

 

林明子舞踏ダンス公演「世の光」  2000.10.27

 

協賛/山村サロン

 

 

ふらっとサロンに訪れた林明子さんが、能舞台に立たれて少し踊られ、この公演を決意されました。林明子さんは、大野一雄舞踏研究所所属の舞踏家です。東京にいた学生時代に、私は大野一雄をはじめ土方巽、麿赤児、笠井叡らの舞踏公演にしばしば行きました。バレエでもモダンダンスでもない、日本独自の前衛舞踊「舞踏」と呼ばれ、'70年代の東京では(あの土方巽さんが元気にされていたから!)「舞踏」をしばしば見る機会がありました。西洋の踊りは体をいっぱいに伸ばし、跳び、重力からの開放をめざします。「舞踏」はちがう。重力が支配する地上にとどまり内を向き、魂を凝視しつつ、たとえば胎児にもどる。

大野一雄さんの舞踏との再会は数年前、大阪で聞かれた三宅榛名さんの音楽と大野さんの共演の夜でした。大野さんは、舞台に立つとものすごく大きく見える人。 80歳をゆうに超えられていても艶があり、小さな動きひとつに気配が動き、ことに「ウェルナーの野ばら」には迫るものがありました。

林明子さんは、いまもなお大野先生の研究所で研鍛されています。林さんとは「舞踏」の話ばかり。「舞踏」往齢を重ねるごとに深まるかの、と。この点は能や日本舞踊も同じであり「舞踏」はまさしく日本の伝統芸能の背骨の上にあります。

サロンの能舞台にすっくと背の高い林明子さんが現れる。やせた体。長い手足。彫りの深い顔貌に穿たれた二つの光の孔。彼女は童女になる。うちひしがれた嵐の蝶になる。風になり、鳥になり、芽を出そうともがく花になる。

 

 

 

原田英代ピアノリサイタル   2000.10.28

―ロシア音楽のタベ―

  

チャイコフスキー:四季-12の性格的描写 Op.37 bis

ラフマニノフ:4つのプレリュード

Op.3-2   嬰ハ短調 レント

Op.23-4   二短調  アンダンテ カンタービレ

Op.32-10 口短調  レント

Op.23-10 変ト長調 ラルゴ

ラフマニノフ:ソナタ 第2番 Op.36 変口短調

1楽章 アレグロアジタート

2楽章 レント

3楽章 アレグロモルト

 

 

原田英代さんは、1984ジュネーブ国際音楽コンクールで最高位に輝いたのを皮切りに、1991年シューベルト・コンクールで第1位。ウィーン現代音楽コンクールで第2位。1993年ラフマニノフ・コンクールでは西側参加者としてただ一人入賞を果たし「上辺だけの効果を狙うことのない深い音楽性」を認められました。

さすがに「大きな音」を持つピアニストです。もちろん、単に音量が大きいという意味ではありません。いわば聴者の心の中で、聞こえた「音像」が大きく広がっていく、という「大きな音」。ロシア出身のピアニスト、マリア・ユージナもピアニシモにおいてさえ「大きな音」を響かせていました。

ロマン派の作品を得意とされる由。そう、人間の心の音楽は原田さんの「音」を必要としています。熱く、たえず揺れ動く心に敏感な、敏捷な指。チャイコフスキーの心やさしさ。ラフマニノフの憂愁と激情。それらをこれだけ「自分の音楽」として演奏できるピアニストはざらにいません。

 

 

 

名器<クレデンザ>コンサート   2000.6.28

11回 SPレコードを楽しむ会  

 

*ヴィルヘルム・フルトヴェングラー*

―不世出の大指揮者の「SPの運命」、

独ポリドールのロッシーニなど―

 

主催/山村サロン

 

ワルターもワインガルトナーもトスカニーニもお聴きいただきました。11回目にしてようやくフルトヴェングラーの特集を組むことができました。ヴィルヘルム・フルトヴェングラーは、いうまでもなく今世紀最高の指揮者のひとりです。来日をついに果たさなかったフルトヴェングラーの芸術を、日本人はSPLPレコードを通じて享受し、ある種「カリスマ」的な評価を捧げるに至りました。

フルトヴェングラーの「運命」の録音は数多く残されていますが、これは戦前録音の代表盤です。日本コロムビア盤。レーベルにはフルトヴェングラーの顔が印刷されています。戦後のLP時代に「フルトヴェングラーの運命」といえば、まず'47年のライヴ録音盤が挙げられました。そして'70年頃に忽然とソヴィエト連邦からベルリン占領時に接収していたテープをおこした'43年ライヴ盤が出現しました。丸山真男が最大限に評価したのがその盤です。戦時中の極限状態における、血を吐くような「運命」。私の耳も長い間それら「LPの運命」に慣れていました。

ところが、古いSPに針を下ろすや、蒼古たる響きの中に激しい意志を持った芸術家の息吹がなまなましく蘇りました。フルトヴェングラーは、どの録音もフルトヴェングラーです。他には、さらに若い頃のドイツ・グラモフォンのSP。ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」と「絹の梯子」各序曲など。

 

 

名器<クレデンザ>コンサート   2000.7.26

12回 SPレコードを楽しむ会  

 

トワイライト・コンサート

*真夏の夜をポピュラー・コンサートで*

―クラシック・シャンソン・ジャズの名演、名唱をどうぞ―

 

主催/山村サロン

 

一度ナイトゲームでの開催を、というご要望にこたえてポップス・コンサートを開いてみました。世の中のSPファンにはいろいろなジャンルにおける「マニア」がいます。私は「クラシック」が専門。といっても、まとめ買いをしたりあちこちから寄贈してもらったりする盤の中には、クラシック以外のものも少なからずあったのです。

そもそもの始まりの、前田和子さんからお受け取りした、母上、佐野貞さんのコレクションの中にも「ダディ・オー」という、花形ジャズ・ミュージシャンが競演するとても楽しいレコードがあったのです。その一枚をはじめ、カウント・ベイシーとエラ・フィッツジェラルド、シャンソンはトレネとピアフ。マントヴァーニの「ラ・クンパルシータ」。アントン・カラスのツィター独奏による「第三の男」。

それらに加えて、クライスラーのドルドラ「スーヴェニール」とドヴォルザーク「ユモレスク」。ガリ=クルチの「ラ・パロマ」など。SP初期には名演奏家に誰もが知っている名曲を入れてもらい、「名曲の名演奏」盤をもって、販路をめざましく拡大していった歴史があります。SPは片面4分余。ちょうどよい長さだったのです。

 

 

名器<クレデンザ>コンサート   2000.8.23

13回 SPレコードを楽しむ会  

 

*貴志康一が聴いたヴァイオリン(1)*

―フーベルマン、シゲティ、イザイー

 

主催/山村サロン

 

 

 

名器<クレデンザ>コンサート   2000.10.25

14回 SPレコードを楽しむ会  

 

*貴志康一が聴いたヴァイオリン(2)*

―レナー、カベエ、ゴールドベルク―

 

 主催/山村サロン

 

岡本恭子さんという未知の方からお便りをいただいたのは、2000年の春先のころ。堺の熊取敬子さんからのご紹介でした。私が蓄音器でSPレコードを聴く会をしていることを聞かれ、岡本さんの母上の山本あやさんの持っておられたSP盤を引き取ってもらえませんか、というお申し出でした。

山本あやさん、芦屋に青年時代を過ごした作曲家、貴志康一の妹さんで、震災直前にサロンでお目にかかっていました。私が解説しながら進める貴志康一作品ばかりの音楽会でした。なによりも、山本あやさんが私のことを忘れずにいて下さったことが嬉しかった。康一さんやあやさんが暮らした芦屋市伊勢町の古い洋館は、震災の打撃を受けました。しかし、康一さんやレオ・シロタさんらが聴いて勉強したSPレコードは、あやさんの奈良の旧宅に静かにきれいに並べられてありました。

 

貴志康一はヴァイオリニスト、指揮者でもありました。1909年生まれ、甲南中学に学んだ後、1925年以来ジュネーヴ音楽院、ベルリン高等音楽院でカール・フレッシュにヴァイオリン、フルトヴェングラーに指揮、ヒンデミットに作曲を師事しています。その後はベルリンや日本で活躍。惜しくも1937年、28歳の若さで急逝しました。

 

山本家のコレクションは、ヴァイオリン独奏や弦楽四重奏がさすがに充実しています。初回はフーベルマンとセル指揮ウィーン・フィルのラロ「スペイン交響曲」の奔放自在な演奏に始まり、後半は甘さを排し、かえって真実のロマンがシゲティとビーチャムのメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」。いずれも日本盤。 1858年生まれの伝説的な大ヴァイオリニスト、イザイの古い片面盤からはブラームスの「ハンガリー舞曲」をお聴きいただきました。これも天地をかきまわすごとき偉大な快演。アメリカ盤。

10月は弦楽合奏の特集ですゴールドベルク(ヴァイオリン)とヒンデミット(ヴィオラ)、フォイアマン(チェロ)のトリオでベートーヴェン「セレナード作品8」。これがじつにすばらしい!曲は、才気あふれる青年ベートーヴェンがハイドンやモーツァルトを模して作った初期作品ですが、三人の名人たちの合奏の妙味がすべてを圧して、音楽が生き物のように流れていきます。演奏・録音ともにSP時代の屈指の名盤。カペーは、カペエと書いたほうがぴったりとくる人も多いでしょうね。私もカペエと書くのが好きです。彼の名を冠した四重奏団でシューベルト「死と乙女」の有名な変奏曲楽章。静けさをきわめた表情と内面に波立つ激情と。レナー四重奏団も一世を風扉した名室内楽団でした。最後に私の大好きなハイドン「セレナーデ」本当にこれは、甘い!ノポルタメントと絶妙なテンポ・ルバートに蕩けそうになります。しかし、純粋を極めているために、感動的な芸術が立ち上がります。

 

 

朝日新聞200085日付けに掲載された記事です。これを書かれた千葉朝春さんは「クレデンザ」コンサートに初回から参加していただいています。お読みになった方が新聞社に連絡先を確かめられて、サロンに電話をかけてこられました。奈良県在住の森坂尚子さんでした。森坂さんも故・森坂勝昭博士が学生時代に終戦後の京都の街で集められたSPを寄贈していただきました。SPレコードに、大切な思い出があること、森坂尚子さんも同じなのでした。

 

 

 

時代を切り開いていく若者の消息をひとつ。

震災後はスイス・ベルンに留学されたのでときたまの手紙の交流ですが、大井浩明さんについては、過去2度のサロンでの現代音楽のリサイタルを通じて強い印象がのこり、以後、忘れたことがありません。彼は、抜群の人。

有象無象は群れたがりますが、彼の場合は後にも先にも人がいないから「独走」するしかないタイプです。そんな彼が「メシアン・コンクール」3位入賞とは、…1位の間違いじゃないのかと訝りたくなりますが、…パリの音楽界も立派なものです。

ますますの活躍を期待します。帰国されたら一回りも二回りも大きくなった(にちがいない)大井浩明さんのピアノ演奏を聴きたいものです。

 

 

 

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2001 1 1日 発行

著 者 山村 雅治

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