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「東日本大震災」以後のために

 

1

 

2011311日に起きた「東日本大震災」以前と以後とでは、日本の「全体」が大きく変わりました。

 

1995117日に、私たちは「阪神淡路大震災」に被災しましたが、直後の東京発信の全国放送の解説者は「これが東京で起きなくてよかったですねー!」といってのけ、受けるアナウンサーも「本当にそうですね」と深くうなづいている始末。被災地では、まだ人がたくさん瓦礫の下に埋もれたままになっていたときに、です。

おおむね西宮市と尼崎市をへだてる武庫川から東の人にとっては、私たちの被災は「関係ない」ことであり、のみならず全国の多くの人たちにとっては、こたつに温もりミカンを食べながらテレビ画面で楽しむ「蜜より甘い人の不幸」にすぎませんでした。それは単なる「地方の自然災害」でしかない。

 

もちろんそれは、東京発信のマスコミの報道姿勢の結果でした。午後のワイドショーで「生き埋め現場からの生中継!」。この無神経さ。マスコミは今も昔も政権のスポークスマンであり、当時は公共広告機構(ACジャパン)がさかんにボランティア募集を呼び掛けていた(今回は「ポポポポーン」、正式名称は「あいさつの魔法」)のは、被災者の暮らしの援助を、民間の善意の、無報酬の力と汗に頼りきろうとし、国、自治体は汗も力もお金も出さない、という魂胆が透けて見えました。

 

いろいろと呆れることがありました。海外からの医師や救助犬を活動させないこと、ドイツで義援金を集めるためにコンサートを開いたピアニストからのお金を、その地の日本の役人は「我が国日本は金持ち国であるから、よその国からのお金は必要ない」といい、はねつけたこと。もう腹が立つのを通り越して、当時から「嗤うべき国」。そして、今回の大震災にさいしても「阪神淡路大震災」のことが何も生かされていない。何も学習されていない。被災者が立ち上がるために必要なものは、何よりも義援金・支援金なのに、この給付の遅れはなんだ。

 

今回の震災が東北3県を津波を伴って大災害に巻き込み、東京をも震度5で襲ったために、初めて東京発信のマスコミは「私たちの自然災害でもある」と認識できたと思います。私たちが、被災者に公的援助をもたらすための「被災者生活再建支援法」を「市民=議員立法」で創りあげるために東京で喋るたびに「この法律案は私たちの問題だけじゃない。あなたたちの問題でもある」ということを繰り返し発言しましたが、その言葉がようやく届いたような気がします。じっさい「阪神淡路大震災」時の東京のマスコミにとっては、被災者は娯楽のネタにすぎなかった。

 

広範囲にわたる「自然災害」(「天災」)のみならず、今回の震災には福島原発が巻き込まれ、電力消費量の問題と汚染の問題とで、文字通りに「全国規模」の「人災」にのしあがりました。いろいろな問題が絡みあっています。「セシウム牛肉」を例にあげていえば、福島の牛が他県の稲わらを餌にして食べさせていて、その稲わらが汚染されていた、ということです。ということは避難区域何十キロ云々の問題ではない。メルトスルーした福島原発からの30キロの同心円だけが「危険区域」なのではなく、食料を通じて全国に広がる問題であり、さらにいえば、空中に飛散した毒物は全地球的な汚染を引き起こしています。すでにして海へ垂れ流し。日本一国の問題ではありません。

 

こうしたことに関しても報道は政権と一体になり、明るみに出すことよりも隠すことの方が多い。

 

 

2

 

さて、「阪神淡路大震災」に被災し「被災者生活再建支援法」を小田実さんらとともに創りあげた当時の仲間たちとともに、弁護士の伊賀興一さんの事務所に集まって、今回の震災被災者の皆さんへの「提言」をつくりました。われわれの経験を無駄にしてはならなかったからです。基本は、自然災害被災者への公的援助を求める。人災に関しては、それを引き起こした企業が賠償する。

 

これを含んだ文章を最近「市民の意見30・東京」のために書きました。以下に転載します。この文章の一部は2011716日に東京・YMCAアジア青少年センターで開かれた「『3.11』後の今こそ『人間の国』へ」(第一部「小田実の文学と思想」 第二部「二つの大震災被災者が思いのたけを語り継ぐ」)という集会で私からのメッセージとして読みあげられました。

                         

 

 

阪神淡路大震災と東日本大震災  16年経っても日本は人間の国ではない

山村雅治(市民=議員立法実現推進本部事務局長)

 

 

1995117日に起きた阪神淡路大震災から16年、2011311日、宮城沖を震源とする東日本大震災が起きた。芦屋でも震度2。職場での昼下がり、ゆっくりと横にだけ揺れる震源は遥かな場所ということだけが分かった。ただちに地震速報。そして津波の襲来。流される人、車、家、船と大きな建物。息をのんだ。これは私たちの体験した自然災害を超える。

 

阪神淡路大震災では、津波はなかった。揺さぶられて家がつぶれ圧死した。あるいは延焼して窒息した。地震と火による犠牲者が犠牲者の大半であり、水に呑まれての死者はいなかった。水に町が流されなかったので、大きな建物も家もその場でつぶれた。だから復元しようと思えばできたのだ。今回の東北の場合は容易には復元できないようだ。

義援金が呼びかけられる。市民が市民をたすける、という共助のお金。そして、小田実氏を代表にした私たちが「市民=議員立法」運動を通じて創った「被災者生活再建支援法」が即刻適用され、被災者らの立ち上がりのための大きな助け、「公助」になるだろう、と思っていた。その上で被災者は十全な「自助」ができる。あの法律を私たちが創っておいてよかった、と思っていた。この国で災害被災者が二度と棄てられることがないようにと、願いと祈りをこめて創ったものだったのだ。

 

その戦いがどれほどのものだったかは、ここでは語るまい。しかしひと月程たって驚くべきは、権利として受け取ることができる「支援金」はおろか「義援金」すらも配布が滞っていることだった。恐るべき怠慢。

それに加えて、日に日に明らかになってきた「福島原発」事故の深刻さ。これこそ3.11当日の被災の想定を超えるもので、それが大きなものとしてのしかかったから、単なる「地方の地震・津波被害」から「日本全国の問題」に広がった。私たちが「強制移住」という、政府の言葉では「計画避難」させられた人たちには、東京電力からの仮払いの賠償金が支払われる。そのことばかりがニュースになり、「地震・津波だけの」自然災害被災者は棄てられたままだ。

 

仮設住宅に当選しても避難所を離れられない現実は、仮設住宅に住むことになれば光熱費も食費もすべての援助がなくなり自活しなければならなくなるからだ。支援金も義援金も配布されずに、どうやって生活しろというのか。自営業者の場合は営業所もつぶれているか、流されている。「自助」を、と求めるのなら、住居を失った「生活基盤」と、営業所を失った「職業基盤」を、まず公的援助をもって取り戻させるべきではないのか。私たちもまた、避難所で配られる食糧をたべ、なけなしの貯金をはたいて被災後の日々を暮らしてきた。そして多くの人は、収入なしに何か月にもわたって家族がやっていけるだけの貯金は持たないのだ。

 

411日に出した「東日本大震災被災者への緊急提言──阪神淡路大震災の被災者から」の焦点はそこにある。自然災害被災者として私たち「阪神淡路大震災の被災者」はいて、原発事故被災者については「東京電力による人災」と定めた。

新聞でこれを採りあげたのは地方版のみで「神戸のニュース」としてのみだった。だから個人のブログやツイッターで広めるほかなく、そうした媒体の方が今回は役に立った。以下のものを。

 

 

 

 

 

2011.4.11

東日本大震災被災者への緊急提言  阪神淡路大震災の被災者から

 

 

早川和男(神戸大学名誉教授)

伊賀興一(弁護士)

中島絢子(「公的援助法」実現ネットワーク 代表)

山村雅治(市民=議員立法実現推進本部 事務局長)

事務局:兵庫県芦屋市船戸町4-1-301 山村サロン内

市民=議員立法実現推進本部

電話 0797-38-2585 FAX 0797-38-5252

メールアドレス yamamura@y-salon.com

 

 

2011311日の大地震、大津波という「自然災害」に加えて、純然たる「人災」である福島第一原発事故による重なる被災に心からお見舞い申し上げます。

阪神淡路大震災(1995年)で生活基盤を破壊されマイナス状態に陥った私たち被災者が生活基盤を回復するには公的支援が不可欠でした。当時、村山首相は「生活再建は自助努力が原則」と言い放ち、棄民の態度をとりましたが、災害救助法以外に被災者支援の法を持たぬ状況下、私たち被災者は、政府責任による公的援助を行うための「市民法案」を提起し、壮絶な被災者運動を展開して、「被災者生活再建支援法」(1998年)を実現しました。しかし被災者保護として不十分な内容であったため改正運動に取り組み、さらに市民案として「生活基盤回復援護法(案)」を提起してきました。

「被災者生活再建支援法」は数次に亘って法改正されたとはいえ、いまだ不十分であり、東日本大震災の実情を踏まえた抜本的改正が、急務です。

このことを指摘した上で、今回の事態に対して、次のことを提案します。

 

1.震災被災者へ公的援助を

東日本大震災は、被災者の生活基盤の破壊とともに、漁業、農業、畜産業など第一次産業の被害甚大で、「職業基盤」が瞬時に破壊された実態に即して、「職業基盤」の再建をも、住居などの「生活基盤」回復とともに公的に援助すべきです。

「阪神」では失業した被雇用者には「雇用保険」が支給されましたが、雇用者(中小・零細企業の自営業者)は対象外でした。(「阪神」に被災した商店、飲食店などは、いまなお再建費用の負債にあえいでいます。)

「東日本」では、そのようなことがないように、中小・零細事業主にも雇用保険を支給することが事業再建を後押しするうえで不可欠です。

解雇を回避し、事業を再建するために、被災者で事業所に雇用されていた人には、雇用関係を維持しながら雇用保険を支給すべきです。これによって基盤を破壊された事業主は人件費の負担が軽減され、従業員とともに事業の再建に集中することができるばかりか、被災地域社会再建への活力を生み出すのです。

これらと合わせて、被災地域社会の維持・再建のために住宅再建2000万円、事業再建資金1億5000万円の政府融資が真剣に検討されるべきです。これは、アメリカのFEMA(危機管理庁)においてすでに実施された処置です。

 

2.原発被害者に賠償金の支払いを

「福島原発」事故のもたらす2次的な、「東京電力」の「人災」による被災が続いています。

強制的に移住させられた被災者、20q圏外の「自主避難」させられた被災者、風評被害によって困窮する被災者など、地域社会を奪われ、生活や職業を断絶、消滅させられ、絶望と苦悩で呻吟する被災者に対して、政府と東京電力は次のことを実施しなければなりません。

「原子力損害の賠償に関する法律」第3条に定める「原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」との「但し書き」にあたらないことを認め、

@ ただちに「強制移住」させた人たち、「強制移住」によって「職業基盤」を奪われた人たちに対し、「被災者生活再建支援法」による給付とは別に、賠償金の仮払いとして、生活者に対しては一世帯あたり人数に応じて月額15万円から35万円の範囲内で生活運営に資する

資金を支払うこと。

A また、事業主に対しては、先にあげた雇用保険の適用に加えて、賠償金の仮払いとして一事業主あたり月額30万円から100万円の事業再建に資する資金を支払うこと。

 

これらの措置は福島原発が放射能放出を停止するまで続ける必要があります。

福島原発が今回の地震と津波に対応できずに、いまもなお放射能を放出し続けている事態は、地上に生きとし生けるものとして許せるものではありません。

 

3.憲法に基づく国民の「権利」です

「阪神淡路大震災」当時の棄民政策からすれば現政権の対応には評価すべき点は多々あります。

しかしながら、被災者とともにあって奮闘努力されている被災自治体の声に、もっと真剣に耳を傾ける必要があります。

被災者の生活再建と事業再建の道は険しく厳しいものです。被災者・被災地支援は国の責任において果たされなくてはなりません。被災者が救われることは国からの「お情け」ではなく、憲法13条(幸福追求権)に基づく国民の「権利」です。

 

ともに発言し、実現に向けて、努力し続けましょう。

 

 

 

そして今日。7月に入った。猛暑と土砂降りの雨、突風の荒れる列島。ニュースは、といえば松本龍復興担当大臣辞任とか。じつは彼の現地での言動を見るにつけ「阪神淡路大震災」当時の村山富一首相以下内閣の面々を思い出していた。また「市民=議員立法」運動を始めた当時の橋本龍太郎首相以下内閣の面々を思い出して失笑していた。同じじゃないか。上記「提言」にも「当時、村山首相は「生活再建は自助努力が原則」と言い放ち、棄民の態度をとりました」とある通りだが、今回の菅直人内閣の誰一人として「阪神淡路大震災」の経験が生かされていないことに唖然たる思いがする。

それは徹底された「初心者」=「素人」を思わせるもので、「被災者にはお金が必要だ。そうでなければ自助はできない」という災害救援の初歩がわかってない。なされていない。

 

小田実代表は当時「これは人間の国か」という評論を「朝日」に書き、その言葉が私たちの運動のスローガンになりました。日本はまだ、人間の国ではない。

 

 

3

 

3.11以後、ただちにチャリティコンサートを開こう! とサロンに働きかけてこられたのは、野田燎さんです。サックス奏者にして作曲家、そしてまた音楽療法家。「阪神淡路大震災」以前からの縁が深い音楽家のコンサートについて、新聞紙上に大きく取り上げられました。

 

 

 

「犠牲者悼む調べ  芦屋で慈善コンサート」

  

東日本巨大地震の犠牲者を悼む「チャリティー・コンサート」が20日、芦屋市船戸町の音楽ホール「山村サロン」で開かれ、約140人が思いのこもったサックスやピアノの調べに耳を傾けた。阪神大震災での体験を契機に、障害者への音楽療法に取り組んできたサックス奏者の野田燎(りょう)さん(62)が「音楽による支援を」と企画した。会場では、涙ぐむ市民の姿も見られた。

野田さんは大阪音大卒業後、ヨーロッパで活躍。2000人収容の大ホールで演奏するなど、順調に音楽家の道を歩んだ。しかし、帰国後の1995年に西宮市で被災。半壊した自宅を脱出し、近所で救出作業に当たったが、がれきから引き出した男児はすでに亡くなっていた。

「自分は人1人も救えないのか」

無力感にさいなまれ、1週間ぼう然としていたが、サックスを手に取り、ジャズの名曲「サマータイム」を演奏すると「悲しみや憤りが涙とともに、体から抜けていった」と感じた。それ以降、重度の意識障害の患者らに向け、演奏し、意識の回復を目指す音楽療法に取り組んできた。

コンサートでは野田さんが「被災された方に、僕たちみんなが一緒にいることを伝えたい」とあいさつ。黙とうの後、サックスとピアノでバッハの「G線上のアリア」などクラシック、シャンソン計24曲を演奏した。ダンスや歌も披露され、参加者は涙を流したり、軽快なリズムに手拍子を送ったりしていた。

会場には、募金箱も置かれ、この日だけで約40万円が集まった。全額を日本赤十字社へ寄付するという。

野田さんは「音楽は、言葉で伝えられない気持ちを伝えることができる。現地が落ちついたら、演奏に行きたい」と話していた。

2011321  読売新聞)

 

 

 

 

野田ファミリー・コンサート シリーズ   2011.3.20

東北地方太平洋沖地震チャリティ・コンサート

 

サックス/野田燎  フルート/松本弘子  ピアノ/山本京子

ダンス/小南佳世  歌/望月恵里、大空倫子

 

*サックスとピアノ(Saxophone & Piano)*

私を泣かせて下さい:ヘンデル

ヴォカリーズ:ラフマニノフ

ドミノ:フェラーリ

二人の天使:プルー

ファンタジー:シューマン

チャルダッシュ:モンティ

 

*ショパンのピアノ曲(Piano Solo)*

幻想即興曲 ノクターン ワルツ マズルカ

 

*フルートの名曲集(Flute Solo)*

シリンクス:ドビュッシー

ロンド:シュターミッツ

 

*歌と踊り、J-popK-popの名曲* 

 

*サックスとピアノ(Saxophone & Piano)*

G線上のアリア:バッハ

私のパパ:プッチーニ

冬のソナタ:ユ・へジュン/オ・ソクジュン

忘れな草:クルティス

エンターテーナー:ジョプリン

ニュー・シネマ・パラダイス:モリコーネ

ラプソディー・イン・ブルー:ガーシュイン

 

 主催/山村サロン

 

 

 

4

 

3.11当日にもコンサートはありました。もうお馴染みになったヴァイオリニスト、デヴィッド・ジュリッツ(David Juritz)さんのチャリティコンサートです。「アフリカエイズ孤児の音楽教育のために」開かれた音楽会。ジュリッツさんは南アフリカ・ケープタウン生まれ。英国王立音楽大学を首席卒業後、イギリス室内管弦楽団に入団。1985年以後ソリストとしても活動。2007年貧困地域の子供たちの音楽教育支援募金のためミューズクオリティー(www.musequality.com)を設立。ヨーロッパをはじめ世界各地で演奏活動を展開されています。

 

246分は、私はホールではなく、練習の音が聞こえてくる事務所にいました。ゆっくりとした横揺れが意外に長く続き、これは遠くで大きな地震が起きたにちがいない、と直感しました。パソコンで情報を得て、息を呑みました。地震の規模の大きさもさることながら、町や村に津波が襲いかかる怖ろしさ。

 

芦屋は震度2。建物も演奏会を夜の時間に開くのに支障はなく、予定通りに決行されました。南アフリカケープタウンに生まれたジュリッツさんは、白人社会と黒人社会の、あらゆる意味での「差」について考え続けてこられたにちがいありません。この後、ニール・ブロムカンプ監督の長編映画デビュー作品『第9地区』を見ましたが、それはヨハネスブルグ上空から下りてきた異星人をめぐるSFです。ブロムカンプは怒りを下敷きに映画を撮った。ジュリッツさんは愛をもってヴァイオリンを奏で続ける。芸術が自己でなく「他」の命に捧げられるとき、その言葉は地の果てにまで届きます。

 

終演後「明日は東京へ行くことになってるんだけど、主催者に電話がつながらないんだ」という心配そうなお顔が気になりました。当夜の東京のコンサートは中止もあり決行もあり大変だったようです。電車が止まって、帰宅を徒歩で何時間もかけて、という人がたくさんいました。 

彼は313日にブラームスの「ヴァイオリン協奏曲」を演奏する予定でした。「新日本交響楽団 第86回定期演奏会 1330開演 すみだトリフォニーホール 指揮:橘 直貴」という演奏会です。この演奏会は「こんなときだからこそ、我々音楽をしている人間にできることは「この状況下でも、音楽を通して人々に少しでも勇気や癒しを与えることが出来るなら、今こそ演奏するべきである」と予定通り開かれました。 http://snso-tokyo.com/concert/messageには当日急遽あつめた義援金についても触れられています。

 

 

デイヴィッド・ジュリッツ チャリティ・コンサート   2011.3.11

 

ヴァイオリン/デイヴィッド・ジュリッツ、稲富友有子  

ピアノ/山田真由美

 

アルヴォ・ペルト:フラトレス

フリッツ・クライスラー:ウィーン奇想曲

アルヴォ・ペルト:鏡の中の鏡

〜 お話 〜

マヌエル・ポンセ:エストレリータ

アーロン・クロル:バンジョーとフィドル

ヨハン・セバスチャン・バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲

シャルル・グノー:アヴエ・マリア

アキッレ・シモネッティー:マドリガル

ヴィットリオ・モンティ:チャルダーシュ

 

主催/NPO法人 ピースフォレスト

 

 

 

5

 

3.11以後、徐々に明るみになった福島原発事故の影響は、音楽界にとっても深刻なものでした。海外からの音楽家の来日があいついでキャンセルされ、とくに東京以東の会場は払い戻し作業に追われました。関西も同じようなもので、大阪でやるアーティストは東京でもやる人が多いので、この「海外アーティスト来日キャンセル」の嵐は、結果、全国を吹き荒れることになりました。海外美術館の所蔵品を展示する「美術展」もキャンセルが多くて、芦屋にあるサロンの音楽会も、この先行きは不安でした。

 

「本当に演奏会あるんですか? デムス先生、来られるんですか?」と日が近づくにつれて問い合わせが多くなりました。じっさい、どの演奏会でもそうなのですが、サロンの玄関に演奏者が現れるまでは、主催者としては安心できないのです。この日ほど演奏者の到着を待ち焦がれたことはありませんでした。

 

デムスさんは来た。悠然として、微笑みながらエスカレーターから3階のフロアへ。そしてサロンへ。うれしくてうれしくて、私は玄関で両手で彼の手を握って「日本へ来てくださって、ありがとうございます。あなたの来日は僕らを勇気づけてくださるものです!」と申し上げました。すると「そうだよ。私はそれをしに来たんだ」と手を握り返されたものです。

 

 

イェルク・デムス リサイタル   2011.3.25

 

J.ハイドン:アンダンテ・コン・ヴァリアツィオーニ

F.シューベルト:さすらい人幻想曲 ハ長調

L.V.ベートーヴェン

:ピアノ・ソナタ 第 8  ハ短調 作品13 「悲愴」

:ピアノ・ソナタ 第31 変イ長調 作品110

 

主催/山村サロン

 

 

デムスさんは、2010117日にも来演されていました。例年は春の一回なのですが、シューマンとショパンの生誕200年の記念の年にデムスさんからのお申し出で開くことになりました。ことにシューマンはすばらしい。音色は夢を湛えて乾かず、起伏も沈潜もある心の流れは滞ることがない。ドイツ・ロマン派を体現したピアニストに終演後、「まるでシューマン自身のピアノを聴いてるようでしたよ」と伝えると、満面の笑みで「ダンケ、ダンケ」。

 

 

イェルク・デムス リサイタル   2010.11.7 

 

R.シューマン〜生誕200年を記念して〜

:蝶々 作品2

:クライスレリアーナ 作品16 

E.T.A.ホフマンにちなむ8つの幻想曲”

 

F.ショパン〜生誕200年を記念して/後期の傑作を集めて〜

:バラード 第3番 変イ長調 作品47

:即興曲 変ト長調 作品51

:バラード 第4番 ヘ短調 作品52

:子守歌 変ニ長調 作品57

:舟唄 嬰ヘ短調 作品60

 

主催/山村サロン

 

 

 

6

 

東日本大震災から丸ひと月経ち、報道は福島原発のもたらす災厄が多くをしめるようになってきました。「実はこうでした」という後出しの発表ばかりで真相が明らかにされないので、世間の不安は高まるばかり。海外では福島原発周辺区域のみならず、日本全体が危険国ということになり海外アーティストはますます来日をキャンセルすることになりました。

 

412日の音楽会をお世話いただいたのはリヒャルト・フランクさんですが、3.11の頃はヨーロッパにいて、その数日後に国際電話で「コンサートできますか?」とお尋ねがありました。「関西は何も変わらず、大丈夫です。やりましょう」と申し上げて、決行が決まりました。フランクさんのお申し出で「チャリティコンサート」になりました。

 

 

東日本大震災チャリティ・コンサート   2011.4.12

 

山村サロン 海外アーティストコンサートシリーズ

ポルトガル・スペインからのギター・トリオ <夜の静けさ>

 

ギター/ピニエーロ・ナージ

&ミクロ・デュオ(ペドロ・ルイス、ミゲル・ヴィエラ・ダ・シルバ)

 

アルベルト・コッラ:夜の静けさ(トリオ)

ホアキン・トゥリーナ:ジプシーの踊り(デュオ)

ザンブラ  誘惑の踊り  儀式の踊り

ヘネラリフェ  サクロ・モンテ

マヌエル・デ・ファリャ:賛歌「ドビュッシーの墓に」(ソロ)

エンリケ・グラナドス:“スペインの踊り”より 第2 オリエンタル(トリオ)

:“ゴヤ”より 間奏曲(トリオ)

マヌエル・ドゥラン:夜のメッセージ(ソロ)

アストル・ピアソラ:タンゴ組曲(デュオ)

アレグロ  アンダンテ  アレグロ

イサーク・アルベニス:4つの小品(トリオ)

マロルカ  アストゥリアス  カディス  コルドバ

 

主催/山村サロン

協力/リスト協会スイス・日本

協賛/オリエント・ファウンデーション

後援/ポルトガル大使館、スペイン大使館、カモンイス院、

大阪日本ポルトガル協会、関西日本スペイン協会

 

 

ピニエーロ・ナージ(Pineiro Nagy)はスペイン人ギタリストで、1968年からポルトガルで教育活動を始めました。若いミクロ・デュオ(Mikro Duo)のペドロ・ルイス(Pedro Luis)とミゲル・ヴィエラ・ダ・シルバ(Miguel Vieira da Silva)は、リスボン音楽院でナージに師事。

アンコールにナージさんはソロで日本古謡「さくら」を弾かれました。終演後に感謝とともに「ポルトガルと日本は古いつながりがありました」と申し上げると、にっこり笑って「知ってるよ。だから今日は新しい友達をつくりに来たんだ」と。収益はフランクさんによって寄付されています。

 

 

7

 

ある日、かつて取材を受けたことがある『ウォロ』誌の村岡正司さんから連絡がありました。前にサロンで「ウイグル祭」をやった、あの人たちが義援金を送るためにコンサートを開きたいと提案がありました。ついては、ということで会場を彼らのためにお貸ししました。にぎやかな大盛会になり、収益は子供たちを支援するために現地へ直接送られました。

 

 

東北地方大震災・被災地の子どもたちを支援するチャリティーコンサート   

シルクロードからのウイグルの風   2011.4.17

 

司会/レイハン・パタール

出演/ジャミラ・ウライム、アイニサ・サタル、ブアイシェム・ヤクプ

ニジャット・ウメル、ズルプカル

 

  1.オルダヘネム(踊り)   ジャミラ・ウライム、アイニサ・サタル

  2.ドタール演奏       ズルプカル

  3.テメンナズ        ジャミラ・ウライム、アイニサ・サタル

  4.ヨルンガカラプ      ズルプカル、ニジャット・ウメル

  5.茶碗踊り         ジャミラ・ウライム、アイニサ・サタル

  6.ジネスタ(踊り)     ブアイシェム・ヤクプ

  7.チマンデグリ(踊り、歌) ジャミラ・ウライム、ニジャット・ウメル

  8.グリバック(歌、踊り)  ジャミラ・ウライム

  9.ボスタンチャック(踊り) アイニサ・サタル

10.いい日旅立ち       ジャミラ・ウライム

11.タップ演奏        ニジャット・ウメル

12.ナズルコム        ジャミラ・ウライム、アイニサ・サタル

ブアイシェム・ヤクプ、ユジャット・ウメル

13.上を向いて歩こう

 

主催/NPO法人ヒューマン・ビジョンの会

協賛/山村サロン  株式会社ソーキ

後援/NPO法人あしやNPOセンター  エマジェネスティックス・ジャパン

協力/NPO法人SKC企業振興連盟協議会

 

 

 

 

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BENEFIT 2011   2011.4.29

東北関東大震災 阪神淡路大震災 復興支援チャリティ・コンサート

 

出演/石上和也、穂高亜希子、炭鎌悠、VELTZ

企画/坂口卓也

 

 

阪神淡路大震災以降、毎年行われていたチャリティコンサートが2年の休みを経て復活しました。ノイズ・ミュージックの石上和也、炭鎌悠、VELTZとギター弾き語りの穂高亜希子さんの4人による会になりました。ずっと「阪神淡路大震災 復興支援」で開かれてきました。「阪神淡路」の被災者の生活は、本当にはまだ復興していないからです。しかし、今回は東日本大震災が起きてしまい、両方の「大震災」被災者に捧げるものになりました。

穂高亜希子さんとソロ・ユニットVELTZの松岡亮さんは東京在住。お二人とも東日本大震災復興支援のための活動を、すでに展開されていました。

 

いつの頃からノイズ・ミュージックと呼ばれるようになったのか。中学生のときにレコードでシュトックハウゼンの『若者の歌』『コンタクテ』を聴き、クラシックの「電子音楽」に魅了されました。楽器の音ではなく電気が生み出すノイズの連続。旋律も和声もリズムもなく五線譜から全くかけ離れた「音楽」。日本では黛敏郎がその分野の先駆者でした。そして70年大阪万博ドイツ館でシュトックハウゼンの『シュティムンク』、ラジオを使った『短波』(だったかな、題名は)のライヴに接するに及んで息が詰まるほどの衝撃と感動を覚えました。ドイツ館のオーディトリアムはシュトックハウゼン自身が監修したもので、会期中にはシュトックハウゼンの「音楽」がつねに演奏されていたのです。

 

現在のノイズを聴けば、必然として中高生だったときのシュトックハウゼンが甦ります。彼は日本へ種を蒔きに来た。日本のノイズ・ミュージックは関西を中心に発展してきたようです。1980年代にシンセサイザーが長足の進歩を遂げて、若者たちに扱いやすい機材が現われ、クラシックの「電子音楽」とは別の味をもつ音楽が現われてきたのです。

 

今回の3人のノイズ、石上和也、炭鎌悠、VELTZ各氏の音楽は三者三様。むしろクラシックの「電子音楽」。いまを生きる「現代音楽」であり、意識と方法、実現させていく技術に磨きぬかれたもの。音色感に彼らの個性がみえて、局面の変化に時間の感覚が現われます。穂高亜希子さんのヴォーカルも含めて、場内には、ぴんと張りつめた心地よさと「やさしさ」でした。

このコンサートの収益は75,000円。日本赤十字社と、あしなが育英会に寄付させていただきました。関係各位に感謝申し上げます。

 

 

9

 

京都のテアトロ・マロン、朝倉泰子さんからもチャリティ・コンサートのお申し出がありました。朝倉さんは「阪神淡路大震災」時にも早速コンサートを開いてくださいました。山村サロンの入るビル「ラポルテ本館」は半壊し、半年の間休業を余儀なくされました。物販が入る1階と2階は11月再開になりましたが、サロンがある3階以上は7月から再開。しかし、あのような状況ではただ暇なだけで、私は自宅と職場と職場の入るビル全体の修理費の金策に走る毎日でした。スタッフの失業給付金を得るために西宮まで歩きもしました。震災の年1995年の小田実さんの呼びかけで始まった「市民救援基金」活動のお手伝いも同時に進行させていましたが、西宮以西、神戸市長田区までのボランティア・スタッフは全員が私と同じく自宅も職場もつぶれた人たちでした。

 

朝倉さんは19957月、再開なったサロンに、まず梁さんのチェロとロトさんのピアノのデュオをお呼びくださいました。柔らかさをきわめたピアノのトーンに美しいチェロの音色がうたう。チェロの奏でる音域は人間の男の声域に似て、上機嫌のベルカントも振り絞る号泣も、心からの祈りも肉声のように聞こえるときがあります。朝倉さんはチェロがお好きです。今回のコンサートは、関西のチェリスト6人が結集した「他にない」企画になりました。

林裕さんが柱となられてのアンサンブル。プログラムもチェロの力を縦横に発揮する多彩なもの。クレンゲルとポッパーにコンサートの心が集約されていました。

 

 

名チェリストの宝庫 関西からパワーを!   2011.4.30

東日本大震災追悼 チャリティコンサート

 

チェロ・アンサンブル

/秋月沙奈美 内田佳宏 加藤文枝 佐古健一 林裕 堀田祐司

 

1.バッハ:G線上のアリア

2.ハイドン:ディベルティメント

3.ピアソラ:ル・グラン・タンゴ

4.チャイコフスキー:アンダンテカンタービレ

5.ラフマニノフ:ヴォカリーズ

6.ファリャ/火祭りの踊り

7.三枝成彰:「チェロのための小さなシンフォニー」から第一楽章

8.クレンゲル:賛歌

9.ポッパー:レクイエム

10J.シュトラウス:「こうもり」序曲

11.フォーレ:夢のあとに

 

主催/チェロアンサンブル実行委員会

協力/秋篠音楽堂 テアトロ・マロン 税理士早川嘉美事務所

後援/京都音楽家クラブ なら国際音楽アカデミー 朝日新聞 毎日新聞

 

 

 

10

 

私自身の「東日本大震災」直後の活動について書いておきましょう。

 

 

デッカ・デコラ コンサート   2011.3.23

65回ステレオ電蓄を楽しむ会 

 

*カラヤン/ベルリン・フィルのワーグナー管弦楽曲集*

 

 

企画自体はもちろんすべて3.11以前から決まっていたものですが、直後にその震災・津波災害と福島原発事故について、直接みなさんに語りかけたのは323日の「デッカ・デコラ コンサート」においてでした。ワーグナーの楽劇の歩みを説明しながら、今回の天災と人災について思うところを述べました。『神々の黄昏』という標題は象徴的です。権力欲と物欲にまみれ、倫理の歯止めを失った「地上の神々」がたそがれていく。ヒトラーはワーグナーを愛しましたが、ヒトラー自身は、たそがれていく「地上の王」の一人にすぎなかった。

 

 

 

書評カフェ 「渡辺一夫評論選『狂気について』」(岩波文庫)   2011.4.17

 

テーマ:平和−あなたの心が戦争を起こす−

進行役:藤本啓子(カフェ・フィロ)

 

場所/カフェP/ S (神戸)

 

 

次に「喋るためにだけ」神戸へ出かけました。417日のカフェ・フィロ「書評カフェ」です。まず、案内のちらしのために書いた文章の原文を載せておきます。(現物のちらしには藤本啓子さんの手が加えられています。末尾に「ドリンクを片手に、参加者同士、平和について考えましょう」。)

 

 

ラブレーの翻訳をなしとげた仏文学者・渡辺一夫は、ラブレーを読み進めるうちにエラスムスの思想に惹かれていきました。その時代の名著『痴愚神礼讃』の翻訳もすることになった渡辺一夫は、同書の中で「狂気について」、「寛容は自らを守るために 不寛容に対して不寛容になるべきか」、「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」、静かに語りかけます。

トルストイの小説の題名のおかげで「平和」の反対語は、すぐに「戦争」と思い浮かべます。しかし、それだけでしょうか。

「平和」が、まず、あなたの心の中にしっかりと根を下ろしてあるでしょうか。

 

                              

そして当日を迎えました。JR灘駅、阪急王子公園駅の灘区の水道筋商店街は昭和のにおいがする店が並び、東灘区や芦屋の商店街が壊滅したのに比べれば、大きな被災からは免れていたのが分かります。藤本啓子さんは神戸大学の学生だったときにこのあたりに住み、歩いて阪急六甲駅からの坂道を上って学校へ通われた由。

 

会場のカフェP/Sは商店街のはずれにあります。20106月にプラトン『ソクラテスの弁明』を語って以来の会場でしたが、2009年ベルグソン『笑い』からの常連のお顔も見えて、じゅんじゅんと語り始めました。私が「小田実」の最晩年の諸活動を通して共にあったことは知られているとおりであり、それなのに「平和」を語るに際して「渡辺一夫」の本を選んだのはどうしてなのか。

それを書いた文章を次に引用します。これは後日にしたためたものです。

 

 

「渡辺一夫と『狂気について』」

 

2011417日、神戸カフェP/Sで開かれた「書評カフェ」では、藤本啓子さんの提案で「平和」を皆さんとともに考えていきたい、ということで、選んだ本が渡辺一夫著「狂気について」だった。

私はもとより「ベ平連」代表を務めた故・小田実と、彼の最晩年の10年あまりを共にした人間である。しかし私は「ベ平連」の世代ではなく、いかなる学生運動にも関わったことがなかった。

震災被災者に公的援助を与えるための法律を創造するために、小田実と私は「市民=議員立法実現推進本部」を結成し、被災地と永田町を何度往復したか分からない。

その運動がいちおう1998年5月に「被災者生活再建支援法」に結実し、その後、2000年夏からWEB上に「声明」を上げていく「良心的軍事拒否国家日本実現の会」を立ち上げた。

2001年9月11日のニューヨーク・テロに対してアメリカは「報復攻撃」を開始する。そこからこの運動は東京で集会やデモを行うことにもなった。そうしたことなどを私は小田実さんの本を通じて語ればよかったかもしれない。しかし、それよりも先に、少年時代に出会った本について、今回はまず語っておきたかった。

 

渡辺一夫は、1992年に小田実に出会う前、高校生の頃から読んでいた。いや厳密にいえば小学校高学年のときに『うらなり抄』と『うらなり先生ホーム話』という新書大のカッパ・ブックス(光文社)2冊を読んだのが最初だった。1960年代の初めの頃だ。その頃は戦争を大人として過ごした人たちが、まだ中年であって親が購読していた『文藝春秋』や『中央公論』、そして『暮しの手帖』が、大人の世界への覗き窓だった。渡辺一夫の文章がそれらの雑誌にあったかは覚えていない。

父は京都帝国大学経済学部を2年で卒業させられて、昭和18年応召。終戦時の戦地は満州であって、直ちにソヴィエト兵に捕捉されてシベリア抑留。マルシャンスク収容所の日本兵捕虜として3年間を耐えて、昭和23年に舞鶴港に帰還した。彼は戦争を憎んだ。どんな大義があろうと、戦争は駄目だ、と事あるごとにいった。仔細は語らない。いわば全存在をかけて息子にいったから、息子は彼の全存在を理解した。

 

以来、中学、高校とあらゆる本を読んできた。小学校の教師が暴力で生徒を支配しようとする男だった。こどもを虐待するときに、その人は笑みを浮かべている。暴力と快楽が「権力」にまっすぐに連なっていた。これが「狂気に支配される国家」なのだ、と小学生の私はすでに体験させられていたのだ。それは解いていかなければならなかったいろいろな「謎」のひとつであり、高校生になってから渡辺一夫の「狂気について」や「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」などの文章に、ひとつの「鍵」を発見した。単行本に所収されたそれらの文章は、筑摩叢書の『寛容について』1972年初版であり、大学に入ってからだ。その一冊は何度も読み返した。内容については、現行の岩波文庫「狂気について』をお読みいただきたい。

 

 

 

「書評カフェ」の当日は満員で、折しも3月11日に襲った「東日本大震災」や「福島原発事故」をめぐっての発言に盛り上がった。その沸騰するような様子は到底狭い紙幅では描ききれない。そして、いつも思うことだが「カフェ・フィロ」では私は、古代ギリシアのアゴラで喋る人間になる。今回もまた、そうなれた。

 

 

藝術交響空間◎北辰旅団第24回公演   2011.5.8

新トロイアの女たち

   

作・演出/北野辰一

出演/三ッ樹零 山村雅治 鈴川みゑ 河原武石 山村サロン女声合唱団

ピアノ/河内芙紀子  

音楽/円藤正吾

 

 

「会報」前期では前年11月から本年4月までを扱いますが、この演劇公演『新トロイアの女たち」のみ先取りで扱うことにします。なぜならこの作品もまた震災/人災の影が色濃く立ち込めていたからです。作・演出の北野辰一さんは、プログラムにこんな一文を書いています。

「元暦二年(寿永三年)三月二四日、平家は壇の浦に散った。無数の蝶が、羽根をもぎ取られ海に捨てられるかのように。勝ったのは勇気ではなく、掟を破る野蛮な振る舞い。赤白の旗は折り棄てられて、波間に浮かぶ屍とともに西方へと流れゆく。時の声は、つかの間に、静かな凪に揺れる木の葉のすれる音と化す。男たちは死んだ。一人残らず死に絶えた。神と霊と人間の和讃。残された女たちのもの語りが今はじまる」。

始まりと終わりが4人の琵琶法師の語り。ある言葉をきっかけに登場人物の一人が立ち上がり、物語がはじまります。エウリピデス、サルトルの「トロイアの女」と「平家物語」が残された女たちの悲しみにおいて溶け合わされ、廃墟と化した都への未練と執着と絶望が謳いあげられていきます。

 

私の役は琵琶法師の「烏揚羽」、「POSEIDON…オロチ」、「HEKABE…二位の尼」。女たちの物語なので男優3人、それぞれに女の役がありました。私の役「二位の尼」は重く、運命に呻吟する極楽から地獄に突き落とされた存在。幽霊なのですが、うたを歌い、杖を片手に舞うシーンもつくられました。ご覧いただいた方の中に私の所作と動き、台詞回し、10分間の舞に「能楽」がある、と指摘された方がいらっしゃいました。その通りです。幽霊の女が過去への執着から世に出てきて謳い、舞う。これは能楽の一つの典型でもあります。そして、われながら面白かったのが、演出家・北野さんと舞の型をつくって行く過程で、小学校2年のころに神戸の藤井久雄師に習った『鞍馬天狗』の動きが突如甦ってきたことです。

私の体の中には、そして、能楽のリズム、仕舞の動き、謡(うたい)の抑揚が今もあります。琵琶法師の語りも発声は謡のそれで。そうしたことを通じて、今回の舞台は「私自身の中にある邦楽(日本の伝統音楽)総ざらえ」といった楽しみもあったのです。

 

音楽は、山村サロン女声合唱団が歌ったのは「Lassie Wi the Yellow Coatie」。スコットランド民謡です。ジーン・レッドパス(Jean Redpath)が歌ったレコードが好きで、その旋律に北野さんが日本語の歌詞を付けました。それ以外の劇中曲、序奏の「挽歌」、琵琶法師の場面の「凪」、後奏の「終わりとはじまり」の3曲は円藤正吾の作品です。

 

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11

 

ここからは「東日本大震災」前の、あるいは前からの継続催事を報告します。

11月に私の能楽の師匠だった藤井久雄師のご子息完治師の能楽の会「観謳会」がありました。久雄師は亡母つね子の師匠でもありました。母は短歌に打ち込んだ時期がありましたが、中年以降は能楽と茶道に生き、そのせいで山村サロンは能舞台と茶室を備えたものになりました。母は亡くなるその日まで『神歌』という笛の教本を枕元に置いて会に備えて頭の中で稽古していました。謡と仕舞に加えて小鼓に始まり、大鼓、太鼓、笛の四拍子の全てをやりましたから、よほど極めたいと願っていたのでしょう。私は幼稚園児のときに「習わせられ」ました。こうした稽古事は「強制」に始まること、誰しもそのようで。

 

通っていた崇信幼稚園は、保育の時間が終わるとお母さんたちが集まる「カルチャー・センター」のようなこともしていました。その中に能楽の泉先生の時間があって親子ともども稽古が始まりました。藤井先生との出会いがいつだったのか、いつの日にか電車に乗って神戸の稽古場へ出かけるということになりました。こちらは小学一年生くらいですから余り記憶にないのです。

藤井完治師はお父君の久雄師に、外貌も声もよく似ておられます。あれから半世紀。そこには久雄師も母もこどもの私もいませんが、あのころとなにも変わらない「能楽」が繰り広げられました。日本の伝統芸は、思うにどの分野においてもきわめて精確に継承されてきたものと思われてなりません。

 

 

観謳会「秋の会」   2010.11.14

 

■連吟 老 松 :神戸こども能楽教室

橋弁慶 :神戸こども能楽教室

■素謡   実 盛 :堀内篤、天野眞由美、澤田眞里子

            関寺小町:上田嶺貴、西原信子、藤井完治、田中章文

            木 曾 :下川宣長、藤井丈雄、西原靖夫

■仕舞   屋 島 :中岡紘子

            野 宮 :大西衡

            班 女/舞アト:西山幸子

            柏 崎/道 行:澤田眞理子

■素謡   木 賊 :上田嶺貴、上田大介、岡本千鶴子、勇海楽人

            鉢 木 :米光宏子、米光隆司、西井豊、大西衡

            頼 政 :久門恭子、石田律子

■仕舞(番外) 

            清 経/クセ:藤井完治

            清 経/キリ:藤井丈雄

 

主催/観謳会

 

 

 

12

 

野田ファミリー・コンサートシリーズに薩摩琵琶の田中之雄師をお迎えできたのは望外の喜びでした。田中之雄師は鶴田錦史師に薩摩琵琶を師事、2010102日に京都の旧嵯峨御所大覚寺門跡で野田燎さんの『清経』を共演され、この日の芦屋公演につながりました。当時は12月の渡米、15日にはニューヨークカーネギーホールで小沢征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラと武満徹『ノヴェンバー・ステップス』を演奏、16日にはコロンビア大学・ミラーシアターで『日本伝統音楽の栄光 管と弦の変遷』に出演される予定でした。

 

『清経』は野田燎さんがパリで現代音楽のスペシャリストとして活躍されていたときの、フランス放送局ならびにパリ市近代美術館委嘱作品です。その作品と伝統曲として伝わる「平家物語『壇の浦』」。

終演後、琵琶について、音曲について、いろいろとお話を聞かせていただきました。かつては盲人の法師たちが路上で語っていた芸の形が現在受け継がれているものになってきたのは大正時代だろう、とのこと、などなど。

この舞台に接したときの耳の記憶が、5月の芝居『新・トロイアの女たち』の語りに生かされたことはいうまでもありません。

 

 

野田ファミリー・コンサートシリーズV   2010.11.28

薩摩琵琶 田中之雄師を迎えて

 

薩摩琵琶/田中之雄  サクソフォン/野田燎

 

平家物語「壇ノ浦」

野田燎:清経

 

主催/山村サロン

 

 

野田ファミリーはクリスマス・イヴにも、障害を背負うこどもたちを集めた楽しいコンサートをやりました。サンタクロースに扮された「野田先生」は、とてもやさしい「音楽療法」の先生でした。

 

 

野田ファミリー・コンサート シリーズV  2010.12.24

みんなのクリスマスイブ・コンサート

 

サクソフォン/野田燎  歌/望月恵里

ピアノ/大植京子、西村奈菜  ダンス/小南佳世

大阪芸術大学サックス・アンサンブル

 

クリスマスソング:望月恵里/歌、大植京子/ピアノ

ピアノ独奏:西村奈菜

ダンス・AKB:小南佳世

サックス独奏:野田燎

サックスアンサンブル:大阪芸術大学サックスアンサンブル

 

主催/山村サロン

 

 

 

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21世紀音楽浴 Vol.20 音楽における点と線   2010.11.21

フルート/ピエール-イヴ・アルトー  ピアノ/久保洋子

 

ヴォルフガング-アマデウス・モーツァルト

:クラヴィーアとフルートのためのソナタ KV. 10ca1764

武満徹:声(ヴォイス)独奏フルート奏者のための– 1971

アルフレット・シュニトケ:古い様式による組曲 OP.80より

「パストラーレ」「メヌエット」「パントマイム」(1972

久保洋子:ユーフォニー(Euphonie)(2010 世界初演)

ヨハン-セバスティアン・バッハ

:無伴奏フルートのためのパルティータ BWV 1013ca1720

ロベルト・シューマン(F.ブー・久保洋子編曲)

:森の情景 Op.82より 森の入口、寂しい花、なつかしい風景 

予言の鳥、別れ(1848-1849

近藤圭:伝統と構造Y 2003

 

主催/21世紀音楽浴実行委員会

後援/フランス大使館、大阪音楽大学

 

 

久保洋子さんとアルトーさんによるバッハ、モーツァルト、シューマンと、現代の武満徹、シュニトケ、近藤圭、そして久保さんの初演作。ざっと300年にわたる作品年代の幅がありますが、それぞれの様式感がおもしろく一般の音楽ファンにもお楽しみいただけたものと思います。

久保洋子さんの初演作『ユーフォニー』は、久保さんの解説によれば「好音調」という意味です。料理とよく合うお酒のように「フルートとピアノが同時に演奏する事で得られる、美しい広がりを持つ作品を書きたいと思った」。阪神淡路大震災に被災されてから、久保洋子さんの作品は直観を武器にのびやかなひろがりを見せてきました。いかにでも構築できる技術をもちながら、構築はむしろ自由な羽ばたき、あるいは航跡、または芽生えのあとに残るもの。それは、天災に生き残った人間として、表現者として選びとった「小さな存在としての人間」が自己を超えるための方法でした。外からは構築しない。しかし、のこされた音楽は硬質の輝きがあり、簡潔な美しさがあります。

 

 

 

日仏文化サロン・日本シター協会   2010.12.12

 

設立10周年記念コンサート 

「フランスシター」

 

主催/日仏文化サロン・日本シター協会

 

 

フランスに縁のある音楽会を続けて書いておきます。

フランスシターの「シター」はチロル地方の「ツィター」と語源が同じです。指ではじいて音を出す横置きの撥弦楽器。新しい楽器なのですが起源は古く、旧約聖書の時代に求められます。たとえば詩篇のなかに「竪琴を奏で 楽の音に合わせて」というものがありますが、その響きを再現しようとされた楽器です。南フランスの修道士が弾いていて、サロンにもダミアン神父が来演したことがあります。

 

 

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Xmas Party at YAMAMURA SALON   2010.12.11

H&Y クリスマスの集い  

 

ピアノ/ジョヴァンニ・クルトゥレーラ

 

リスト:伝説 2番“水の上を歩くパウラの聖フランチェスコ”

:“詩的で宗教的な調べ” 第7番 葬送曲

ラフマニノフ:楽興の時 作品16-3

:前奏曲 作品23-5

リスト:コンソレーション 第3番、第4

:夜想曲 第3番“愛の夢”

ショパン:夜想曲 嬰ハ短調 遺作

:夜想曲 作品9-2

:前奏曲 作品28-4, 作品28-20

:マズルカ 作品17-4, 作品68-4

 

主催/廣瀬忠子、山村サロン

協力/リスト協会スイス・日本(リヒャルト・フランク)

 

 

ジョヴァンニ・クルトゥレーラさんは1970年生まれ。まだ青年の面影が残るイタリア人のピアニストです。V.ベッリーニ音楽院とエウテルペー国際音楽院に学び、師はボリス・ペトゥシャンスキー、イェルク・デムス、ディター・ツェヒリン。

年に一回、母の少女時代からの生涯の友だった廣瀬忠子さん(芦屋市婦人会長、芦屋ユネスコ協会会長、芦屋市立美術博物館館長)と山村サロンが共催、リヒャルト・フランクさんの企画で続けています。

お手伝いくださった方々に、いつもながら深く感謝申し上げます。

 

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「自死と向き合うために」   2011.2.13

 

講師:鷲田清一(大阪大学総長)

 

主催/自死遺族 わかちあいの会 風舎

共催/大阪大学「ケアの臨床哲学」研究会

 

 

カフェ・フィロの藤本啓子さんは「風舎」のこともなさっていて、彼女の企画でこの講演会が催されました。ちらしにはこう書かれています。

「生きている方がいい…死なないにこしたことはない…そんなことは重々承知しながら、それでもなお自ら命をたたなければならないほどの何かを抱えてしまった多くの人々。そしてその人々の死を、どういう出来事として受け止めてよいのか途方に暮れる、さらに多くの人々。自死(自殺)は、遺族や周囲の人々にとって、そしてひょっとすると不帰の本人にとってさえも、事柄の切実さに反比例するかのように、つかみ、うけとめることが難しいものではないでしょうか。

今回の講演会では、哲学者の鷲田清一先生をお招きし、自死と私たち一人一人がどのように向き合っていくのか、そのヒントを参加者のみなさまとともに考えたいと思います」。

鷲田清一さんの専門は現象学、臨床哲学。しかし私は30代の頃はファッションに関する彼の本しか読んだことがなくて、しかもそこにある見識は傾聴に値するものだったので、その道の人だと思い込んでいました。この守備範囲の広さは好きです。人間のするたくさんの分野のことを掘り進める学者こそ、私の信頼する人です。

警察庁統計資料によれば、日本の自殺者数は平成10年の24,391名から翌平成11年の32,863名へ一挙に増加し、平成2231,690名に至るまで3万人以上の人が自死を遂げています。22年は50代男性(5,024名)が最も多い。つぎが60代(4,377名)、40代(4,279名)がほぼ同じくらいに多いです。その次が30代(3,377名)ですから、その多くが家庭を持つ男性とみていいでしょう。

場内は満員になりました。お話は諄々と、終始あたたかい空気をもって説き進めていかれました。

 

 

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以下は私自身が係わる催事をまとめておきます。

 

私の指揮する山村サロン女声合唱団『平和の祈り よたび』については前号に報告しておいた通りです。充実したコンサートになりました。しかし、これだけ精根を打ち込んだ会は、毎年はできない、という合唱団のほうからの意向で2011年は『新・トロイアの女たち』と6月の『クラヴィーアの会』賛助出演で打ち止めです。ひとり一人の力を蓄えます。典礼聖歌『やまとのささげうた』は是非ともやっておきたいし、『カントゥス・マリアーレス』も。楽しみにお待ちくださいますように。

 

 

平和の祈りよたび 高田三郎「典礼聖歌」を中心に   2010.11.27

 

山村サロン女声合唱団   指揮/山村雅治

オルガン・ギター/河内芙紀子  ピアノ/内藤雪子

 

<1> ジョン・ラター作曲・編曲の作品

この日ひととなりし  羊飼いたちは御使いらの歌

主汝を祝し  明日は私が踊る日となる

 

<2> 啄木短歌集  石川啄木:歌  高田三郎:作曲

やわらかに  頬につとう  いのちなき 病のごと

不来方の ふるさとを  はずれまで  あめつちに

 

<3> 典礼聖歌典礼聖歌編集部:詞  高田三郎:作曲

しあわせなかたマリア 救い主を育てた母 元后あわれみの母

降誕節アレルヤ唱 やみに住む民は光をみた 天よ露をしたたらせ

 

<4> 典礼聖歌−答唱詩編−

しあわせな人 遠く地の果てまで 谷川の水を求めて 

喜びに心はずませ 主を仰ぎみて      

 

<5> 典礼聖歌

行けモーセ  兄弟のように  呼ばれています 

わたしは門の外に立ち  神のみわざがその人に

行け地の果てまで  ちいさなひとびとの    

平和の祈り  いつくしみと愛

 

 

 

レコード・コンサートも変わらず続いています。震災直後のカラヤン/ベルリンのワーグナー管弦楽曲集の回については始めの方に書いたように、世紀末から現代へ至る「時代」を暗示した象徴的な音楽に聴こえました。そういえば続く4月はフルトヴェングラー、オペラもクナッパーツブッシュで、ワーグナーが続きました。78回転のSPレコードを手回し式大型蓄音機「クレデンザ」で、33回転のLPレコードをステレオ電気蓄音機「デッカ・デコラ」で、もう10年余りも皆さまとともに楽しんで参りました。かつての名演奏が復刻CDではなく、そのままのかたちで現代になまなましく甦ります。

  

 

■ デッカ・デコラ コンサート

 

63回ステレオ電蓄を楽しむ会  2010.11.24

*チョン・キョンファのサン=サーンス

「ヴァイオリン協奏曲第3番」*

 

64回ステレオ電蓄を楽しむ会  2011.1.26

*ジャクリーヌ・デュ・プレの独奏で

ドヴォルザーク「チェロ協奏曲」ロ短調作品104を*

 

65回ステレオ電蓄を楽しむ会  2011.3.23

*カラヤン/ベルリン・フィルのワーグナー管弦楽曲集*

 

 

 

■ クレデンザ・コンサート

 

76 SPレコードを楽しむ会   2010.12.22

*ウラディミル・ド・パハマン Vradimir Pachmann

歴史的大ピアニストの演奏で「ショパン生誕200年」*

 

77 SPレコードを楽しむ会   2011.2.23

*エンリコ・カルーソー、ベミヤーノ・ジーリ、ティト・スキーバ…

歴史的男声歌手たちの饗宴です*

 

78 SPレコードを楽しむ会   2011.4.27

*フルトヴェングラーの「トリスタンとイゾルデ」

前奏曲と愛の死、ほか*

 

 

 

■ デッカ・デコラ OPERA SPECIAL        

 

10回カラスの「トスカ」全曲   2010.12.8

    

11回シミオナートの「カヴァレリア・ルスティカーナ」

2011.2.9

 

12回クナッパーツブッシュの「ワルキューレ」第1

2011.4.13

 

 

 

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『小田実を読む』は、巷間「反戦平和」の「市民活動家」、「べ平連」の人としてしか認識されなかった(阪神淡路大震災が「地方の災害」であるにすぎなくて「自分の問題でもある」と考えさえもしなかった多くの東京の人たちは、とくにそうです。「市民=議員立法」のことさえ知らない)小田実が生涯を賭けた「小説」を読んでいこう、と企図された会です。

長大な作品が多いのですが、彼は短編も巧かった。時代が過ぎれば言葉が残る。言葉だけが残る。「なにごとかをやった」人間のことが書き継がれ、語り継がれていくとしても、100年後の少年たちはその「行為」に興味を抱くと同時に、その人が書いた言葉を通じて、その人について深く知ろうとします。小田実は活動家としても多くの市民運動をやりました。「べ平連」、「市民=議員立法」以外にも。また評論はあまたあり、小説も山とあります。 

毎朝言葉を原稿用紙に書いていた多作型の巨人でした。

 

私の担当した『何でも見てやろう』は初版当時(1961年)の大ベストセラーで、ある年代以上の人なら知らない人はいません。お金のない若者の世界旅行記といった外面は痛快であり、日本を元気づける言葉も随所にありますから、これを読んだ当時の左翼の陣営からは「変な右翼が出てきた」と思われたそうです。私のレジュメは長大なもの。講義ノートを縮小しても、やはり長くなりました。それを一括掲載することを考えていましたが、その紙幅はなさそうです。

 

 

■ 小田実を読む

 

21回「我が人生の時」   2010.11.20       

レポーター/北野辰一

 

22回「何でも見てやろう」前編    2010.12.18

レポーター/山村雅治

 

23回「泥の世界」    2011.1.22                 

レポーター/益子昇

 

24回「何でも見てやろう」後編   2011.2.19   

レポーター/山村雅治

 

25回 特別対談   2011.3.19

「小田実の文学と思想」  

―その豊な足跡と全体小説について―

対談者/ロマン・ローゼンバウム  玄順恵

 

26回「被災の思想、難死の思想」   2011.4.16        

レポーター/白石憲二

 

 

 

下記の12月と3月の集会は「市民の意見30・関西」の主催事業です。その例会は小田実存命時には、毎回小田さんがゲストを呼ばれたり一人で喋ったりして、現代の日本と世界の問題について鋭い問題提起をされてきました。

 

阪神淡路大震災の追悼の日、117日が来れば毎年その近辺の日に集会をもつことにしています。年に一度だけ「市民=議員立法実現推進本部 事務局長」に戻って、あの日々のことから「現在」を考えてきました。

そして2011311日、「東日本大震災」が起きてしまいました。あの頃のメンバー、早川和男、伊賀興一、中島絢子の諸氏と私とで「阪神淡路大震災被災者から東日本大震災被災者への提言」を早速にまとめあげ、411日には世に出しました。(詳しくは、本号冒頭へ戻ってくださいますように!)

 

青山斎場での弔辞で、芦屋のサロンでの挨拶で、私は「小田実は死なない」と申し上げました。「提言」の言葉のなかにも、仲間に並んで小田さんの引き締まった顔があります。

 

 

市民の意見30・関西 12月例会   2011.12.5

「小田実さんと太平洋戦争開戦69年の今」

お話し:北村毅

主催/市民の意見30・関西

 

阪神淡路大震災から16年   2011.1.16

私たちは「『自由民権』を求めてきた」   

早川和男 伊賀興一 中島絢子 山村雅治

共催/市民=議員立法実現推進本部

「公的援助法」実現ネットワーク 被災者支援センター

良心的軍事拒否国家日本実現の会

市民の意見30・関西

 

市民の意見30・関西 3月例会   2011.3.14

―日独市民交流― 「徴兵制廃止に向かうドイツ」

お話し:木戸衛一

主催/市民の意見30・関西

 

 

 

 

yokoi

 

 

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2011 8 15 発行

著 者 山村 雅治

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