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 コンサートで、ほかに衝撃を受けたのは、シェーンベルクでした。おそらく10年以上は
聴いていませんでした。「月に憑かれたピエロ」から「月に酔い」と「夜」。高校生のこ
ろ、新ウィーン楽派は、少年たちの流行でした。いつの間にか遠ざかっていたので
すが、奈良ゆみさんのなまなましい歌声に突き動かされ、血が逆流するほどの上気を覚え
ました。ああ、僕はシェーンベルクが大好きだったんだ、と。

 アーノルド・シェーンベルクは、2002年初版のArnord Schoenberg's Journey /Allen
Shawn (Farrar,Straus and Giroux)のカバー見返しにいわく、「聴かれるよりも多く議論
され、愛されるよりもずっと多く我慢されてきた」。
 グレン・グールドがあれだけ多くの説得力ある文章を書いても、チャールズ・ローゼ
ンバーグがコンパクトなロングセラー本を書いても、なお世界中でシェーンベルクは「お
客を呼べない」作曲家なのです。本なら、それらよりもシェーンベルク本人が書いたもの
を数冊読めば、どれだけ真摯に古典を勉強した人なのかがわかるし、それよりも大切なの
は、彼の音楽を聞くことです。

 彼は12音音楽を、調性から開放されるものとして書いたはずです。解き放たれる喜びが
なければ彼の音楽ではありません。たとえば「弦楽四重奏曲第2番  嬰へ短調 作品10」は、
ソプラノ独唱を伴った独創的な作品ですが、シュテファン・ゲオルゲの詩の内容とともに
音楽の手法が変化します。終楽章では、ついに調号による調性の固定が放棄されているの
みならず、調性そのものから脱却します。契機となった詩にはこうあります。

「私は他の遊星からの大気を感じる。親しげに私の方を振り向いた多くの顔が暗闇にか
すむ。…私は音のなかに溶けていく。旋回し、うごめきながら。いわれのない感謝と、名
もない賛美のうちに、偉大な息吹に、望みもなく身を委ねながら」。

 初演は,当時のウィーン・フィルのコンサートマスターだったアルノルト・ロゼが率
いるロゼ四重奏団と宮廷歌劇場の歌手、マリア・グートハイル=ショーダー。シェーンベ
ルクの理解者たちは、たまらない興奮と喜びを覚えただろうと推察できます。しかし,聴
衆の反応は,以前のどの作品の初演時をしのぐ反感と憎悪のみ。「波のような笑い声と野
次と口笛とが巻き起こり、演奏は聴こえないほどだった」と、伝えられます。

 シェーンベルクの人生は、想像を絶するまでの戦いの連続でした。1874年に生まれ1951
年に没した彼は、時代にも翻弄されました。ユダヤ人だった彼は、クレンペラーの意見を
入れたコーリッシュからの電報にしたがって1933年にベルリンを脱出。収入の道も閉ざさ
れたままアメリカに向かいます。「ナポレオンへの頌歌」と「ワルソーからの生き残り」
は、ヒトラーとナチスへの弾劾の音楽です。シェーンベルクが「ぐれの歌」を作曲してい
たころから、100年立ちました。彼の再評価と、真の音楽の巨人としての復活が、やがて
始まります。注: 文字用の領域がありません!
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