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2 今年は前半に集中的に「新ウィーン楽派」とその周辺を調べなおしていた事もあり、戦 争と芸術、芸術家について考えつづけた1年でもありました。人生がいきなりへし折られる。 そうでなくても、ねじ曲げられる。外出禁止令が出ていたにもかかわらず、煙草を吸いに出 たところを射殺されたアントン・ヴェーベルン! ユダヤ人のシェーンベルクは。仕事もないままにアメリカへ亡命しなければならなかった し、同じくユダヤ人の指揮者ブルーノ・ワルターは近い親類を、ナチのガス室で殺されまし た。もっとも、戦争が奪うのは芸術家の人生ばかりではなく、あらゆる市民の生活を奪うも の。むごさは等しくありますが、志しなかばに倒れた芸術家の無念さ、かなしさが、私にはと りわけ痛切に響きます。 ショスタコーヴィチはスターリンのソビエト連邦を生き延びました。まわりでは才能ある 音楽家がどんどん弾圧され、殺されていました。ショスタコーヴィチは「私の作品は彼らへ の墓碑銘だ」と洩らしていました。 日本の若いチェリスト、赤松稔の名を知る人はどれだけいるでしょうか。また、彼の演奏 を記憶にとどめる人はどれだけいるでしょう。1942年、彼はピアニストの横井和子さんと結 婚し、1944年、ビルマで戦死を遂げました。 2002年10月10日、大阪いずみホールで、音楽生活60周年記念の「横井和子 ピアノ・コン サート」が開かれました。私は、横井先生に指示された秦はるひさんの中学時代の同窓生で あり、サロンで秦さんの演奏会を開くうちに、ときどき先生にお目にかかり、お話を伺う機 会に恵まれることになりました。 お若いときから現代音楽を弾かれ、とくに同時代を生きる日本人の新作初演を積極的にな さっていたことは、現代の若いピアニストには是非見習ってほしい姿勢だと思います。 リサイタルでは高田三郎の「前奏曲集」より「U.風に踊る陽の光」と「V.藍色の谿間」 と、奥村一の「ピアノのためのカプリッチョ」がとりあげられました。いずれも「手書きの 楽譜を直接書いた」とプログラムノートに書かれています。透徹した美しい響きに、音彩が あざやかに描かれています。そして、まぎれもなく日本の音の響きがありました。 ガルッピの「ソナタ ニ長調」や、スナタナのピアノ独奏曲の数々も、横井さんのほかに 聴かせてくれるピアニストはいません。誰も知らない隠れた名品を聴く喜びは大きいです。 後半に日下部吉彦さんとの対談があり、戦時の思い出が語られました。 1942年12月、東京音楽学校を安宅賞を得て卒業。1942年1月、赤松稔と結婚。2月、宝塚大 劇場でデビュー。11月、夫出征。1943年8月、長男誕生。1944年2月、夫ビルマにて戦死。 激流のような日々です!戦後はご愛息を赤松家に託し、離れて住まなければならなかっ たともお聞きしました。しかし、音楽の上でのご活躍ぶりのめざましさは、皆様もご存じ のごとくです。記念のCDも場内で頒布されていましたが、ヴェートーベンの4番と3番のコン チェルトが選ばれていました。気韻の高い、すばらしい演奏です。 赤松稔さんとの結婚生活は短いものでした。「ブラームスのチェロソナタを二人で演奏 したかった」とおっしゃったことばには胸がつまりました。若い二人の芸術家の夢は叶いませ んでしたが、その夢は二人の音楽を知る無数のファンの夢でもあったのです。 |
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