カーキ色に染まるとき
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 さいきん、職場でも遊びに行くときにもスーツを着なくなりました。
 きっかけは工芸・秋の出会い展からでしたが、そのときの私服がお客さまにもスタッフ
にも好評で、以後、とどまることを知らない「変な服」のエスカレートは続いています。
どんな服かといえば、まあ、一度見に釆てください。

 スーツは、なによりも便利でした。
 初対面の人に安心感を持ってもらうことができるし、一人前の男であることを着てみせ
ているようなもの。そういえば、震災がらみの市民=議員立法の運動の全過程では、払は
紺のスーツしか着ませんでした。それは弔意と、かなしみと、底に沈めた怒りと、変わら
ぬ意志の、私なりの地味な表現でした。国会議員や役人とわたりあったり、ともに動くと
きに、紺のスーツと白いワイシャツは、なかなかに有効な「戦闘服」でもありました。
 そう。スーツは「戦闘服」です。企業人、組織人の「制服」でもあります。

 最近のスーツはつまらない、と思い始めていました。
 基調は黒。電車に乗ると、勤め人諸氏はみんなお葬式の帰りなのか、という感じがしま
す。ファッションは、まさに時代の到来を告げています。喪の時代。

 日本は死んだのだ、と。企業は死に、永続する勤務への信頼は崩壊し、もはやなにもの
にも忠誠心をもてない時代へのむなしい思い。
 そして、今日また日本は死んだ。海外派兵を決定したことにより、憲法は死に、平和な
日本は死んだのだ、と。
やがて市民の自由さえ、いずれは死ぬのだ、と現在のファッションは告げています。

 それとも、世の中全体が絶望の黒に染まりつつあるのか。
 自分の手首をナイフで切りつける自己破壊衝動。先にも今にも望みがないから生まれた、
生よりも死を愛好する性癖。自分よ死ね、という情熱と、邪魔ものは消せ、という暗い怨
念。若者も大人も、世相に現れる事件に共通するのは、ただやみくもな破壊衝動です。
若者の一都に熱狂的なファンがいるゴシック・ファッションは、もっとも鮮烈に現代を
表わすスタイルです。ここでも基調は黒。胸までのコルセットに締めつけられた、身体的
自由の拘束。無意味なまでの過剰さを見せるフリルの装飾。アクセサリーとしての首輪。
現代を生きなければならない若者の端的な自己表現がそこにあります。絶望を生きる人間
の、痛切な自己表現です。

 日本は、悲しすぎる。
 日本人は、ここまで追いつめられています。
私は、それでも死なずに生きていて、生きて平和をつくろうと思っていますから、まず
黒いスーツを脱ぎました。
 カーキ色に染まる時代がくる。
 そのときにも、私は時代の制服を身につけることはないでしょう。
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