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 私自身が、体育の嫌いな痩せた少年でした。
連動は不得意ではありませんが、体育の授業が嫌いでした。前へ習え。右向け右。回れ
右。番号始め。これに頑右〈かしら、みぎ)を加えれば、もう嫌。歯車のひとつになるの
が人間牲を奪われるようで、軍国の臭いがして。それだけでなく、「学校」制度全体を少
年時代の私は憎んでいました。「学校」は、生徒を十把一終げにたったひとつのところへ
導こうとしている。線路からそもそも外れていた私は、ただ外れているしかありませんで
した。
 見かけがマッチョとはかけ離れた体格で、本や音楽に耽溺していたため「男らしくしろ」
と教師に怒鳴られる始末。でも、できないもん。男らしさでなく、女らしさでなく、人は
自由に、人間らしくあるべきです。
 人間と人間の間に横たわる、あらゆる壁を超えたい。性別の壁さえをも超えたい、とい
う渇望は高校のころから激しくなりました。ときは70年安保前夜。私は見に合う女物の花
柄のブラウスを着て街を歩いていました。そして、いま。中年特有の肉のだぶつきから完
全に解放されて、払の体格は20歳前後のサイズに戻りました。だから、男物女物の区別な
く、服を着ます。そうとう変わった服も着ます。ゴシックもパンクもスカートもありです。

 さて、そんなわけで、2002年の年末に「メサイア」公演の指揮をして、恥をさらけだす
ことに無上の快感を覚えて以来、私は自分の「地金」をもっと出さねば、と肚が座ってき
たようです。もっとやりたいこともあります。
 具体的には、私自身が出るステージ・パフォーマンスをなにかやりたい。まだ夢の段階
ですが、いくつかの楽器や声楽が入る朗読劇。脚本もなにも、まだありませんので、いつ
になるかは分かりません。詩の朗読会なら、すぐにでもできますが。

 また、サロンは「女性が装って集う揚」でありますが、男性ももっとお洒落をしましょ
うよ、という呼びかけの気持ちが払にはあります。
 かつて、スカートをはいていた、という伝説がある花森安治が「ドブネズミ色の若者た
ち」と題したエッセイで、男の服装のことを『暮しの手帖』誌で語りかけたのは、1967年
のことでした。あれから男の服の基本はなにも変わっていません。男たちの目つきも同じ
です。
 というか、思えば人類が文明をもって以来、もっとも面白味のない服装を戦後このかた
の男子はしてきて、社会人として働いていると思います。スーツの利便性、横能性をしの
ぐ、美しい装飾性をもつ新しい男性の衣服を、デザイナーは考案すべきです。
 未来の男の服は、軍服がモデルではない、兵士には絶対にふさわしくない、もはや戦う
ことが過去のものになった、優雅をきわめたものでなければなりません。戦わない。殺し
あわない。目の前の人間を愛することだけをする男。
 この地上は、絶対に平和でなければならない。
 原爆はいらないし、劣化ウラン弾もいらない。生物化学兵器はいらないし、対戦車砲、
無反動砲はいらない。武器はなくなれ。「地球の上の、すべての臥すべての民族、すべ
ての人間が一人残らず滅びてしまうまで、ついに武器を捨てることができないなんて。ぼ
くたち、この人間とは、そんなにまで愚かなものだとはおもえない。ぼくは、人間を信じ
ている。ぼくは、人間に絶望しない」(『一戔五厘の旗』から「武器をすてよう」花森安
治・暮しの手帖社)。
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